2002年1月31日(木)「イラン映画<ダンス・オブ・ダスト>アボルファズル・ジャリリ監督/言葉のないコミュニケーションはどこまで可能か」

 セリフがないために、理解しにくい映画だった。しかし、内容的に良質で映像も美しく完成度は高かったと思う。
 イランではハタミ大統領が提唱する解放・自由化の政策によって、いままで上映禁止になっていた作品も上映されるようになっている。これは、イランの劇場で公開された、ジャリリ監督の最初の作品だ。
 大筋はこうだ。
 11歳の少年イリアは、風が吹きすさぶ砂漠の村で、村人たちと一緒に日干し煉瓦を造って暮らしている。ある日、季節労働者たちが村にやってくる。そこにリムアという同じ年頃の少女がいる。リムアも、大人に混じって煉瓦造りを手伝っている。
 過酷な自然環境と労働の中で、二人は視線をかわし、微笑み合い、心を通わせていく。
 ある日、リムアはイリアへの思いを託し手型を煉瓦に焼き付ける。リムアは、イリアの家に手型をそっと置いていく。手型は、この地域の人々にとってはお守りなのだ。
 イリアにとっては、リムアの気持ちのこもった手型の煉瓦がとても大切なものとなる。
 しかし、二人の様子に気づいたリムアの母親は、この手型の煉瓦を井戸に投げ込んでしまう。
 この日から、リムアは原因不明の重い病気にかかってしまう。
 イリアは、祈祷所から人の手を型どったお守りを盗み、リムアの回復を願って土に埋める。しかしリムアの病状が良くなる気配はない。
 村に雨季が到来し、雷が鳴り響く。村人や季節労働者たちは、雨が降らないようにと神に祈りを捧げる。雨が降ると、日干し煉瓦が溶けてしまうからだ。イリアも神に祈り、懸命に踊る。
 しかし祈りは聞き入られず、雨が降る。雨で、日干し煉瓦が溶けていく。
 季節労働者たちは、嘆き悲しみ、村を去る準備をする。
 リムアは家族と共に駅へと向かう。
 イリアは、土に埋めたお守りを掘り起こして、リムアに渡す。イリアは村へと戻り、井戸からリムアから貰った手型の煉瓦を拾い上げ、大事にしまう。
 季節労働者たちが去ってしまった、人影のなくなった砂漠の村。再び一人ぼっちになってしまったイリア。風が吹きすさんでいる。丘を駆け上り、叫ぶ。
 しかし自分の声が砂漠の山に木霊するだけだった。

 舞台は、煉瓦造りが営まれている砂漠のある村で、様々な地方から季節労働者たちがやってきて働いている。ここではペルシャ語だけでなく、アラビア語、トルコ語、クルド語、英語などが飛び交っている。
 ジャリリは、この映画製作を通じて、「愛」、「信頼」、「自由」、「渇望」、「純粋さ」、そして「献身」にあふれ平和に他民族が共生する道を探った、と言っている。
 セリフがないのは、言葉の通じない村の生活から、言葉ではなく心でコミュニケートすることの大切さを訴えるためだ。
 ジャリリ監督は言う。
「観客の魂に達するためにできる限りセリフを少なくしようと思いました。セリフを書いたら、観客の注意を逸らしてしまいかねない」
 
 良いテーマだなと思った。一見少年と少女の恋物語に見えるが、言葉の通じない他民族の共生と心の触れ合いの物語なのだ。

 しかしこのような物語は、恵まれた環境にある都会の大人の間では成り立たないと思う。
 例えば日本では、イランのように男女のつき合いに関して法律の制約はないから、第一印象で惹かれたら、すぐに何人とでもつき合えるのである。
 だから私たちは、顔や第一印象に惹かれても、つき合ってみたら価値観や性格が自分とは違っていたり、結婚してみたら欠点や方向性の違いなどで相性が良くなかったりするのが往々にしてあることを知っている。
 つまり、私たちは文化的な存在だから、言葉を使わずして互いに微笑むだけでは、相手の深い所まで理解できないのだ。
 イリアとリムアとの間に生じる心の交流は、過酷な労働と制約と自然環境の中にある、まだ自我の未発達な子供ゆえ生じたのである。
 それを、「魂」という言葉を持ち出して、いかにも心の深い交流であるかのように語るのは、いささかどうかと思う。
 リムアがイリアに捧げた手型を、リムアの母親が井戸に捨てた時から、リムアが重い病気になったというのだから、よほどイリアがリムアの心の支えになっていたのだろう。
 この設定にも少し疑問を持った。
 言葉を使ったコミュニケーションがないうちから、ここまで相手のことが心の支えになってしまって良いのだろうか?
 言語的コミュニケーションより、仕草、動作、行動、表情などの非言語的コミュニケーションの方が深いものである、という姿勢が私は好きになれなかった。
 現実に、私たちのいる世界では、言葉の対話がないために、戦争やテロ事件、紛争などが頻発して多くの人が犠牲になっているのだ。

 私は、リムアとイリアの心の交流を素朴で淡いものだと解した。

 今日は郁朋社に、推敲した「タユランの糸車」のフロッピーを持っていった。朱入れのゲラ戻しは、2月末になる予定だ。



2002年1月27日(日)「アフガン難民/戦争の飛び火」

 2,3日前、小説家の宮内さんの掲示板にショッキングな書き込みがあった(bP397、bP403)。これを書いたのはオーストラリア在住の方だが、読売新聞にも書いてあったので実際に起きていることだ。
 書き込みによると、サウス・オーストラリア州の難民収容所で約200人がハンガーストライキを行なっていて、その殆どがアフガニスタン難民だそうだ。子供を含む約200人が入国ビザを要求して断食しているという。その内50人が自分達の口を縫って塞いでの断食を敢行しているということだ。また幾人かの大人が断食を徹底させる為か、子供達(14歳かそれ以下)の口を縫ったのだそうだ。テレビに映るフェンス越しの彼らが、「WE WANT VISA」を連呼していたという。
 21付けの読売新聞にもこう書いてあった。「南オーストラリア州ウーメラ難民収容施設のアフガニスタン難民らが、豪政府の難民認定手続きの遅れに抗議し、洗剤を飲んで自殺を図ったり、唇を縫ってハンストに入るなどの行動に出たことを明らかにした。洗剤を飲んだ難民は子供を含む15人で、病院で手当てを受けたが、死者は出ていない。唇を縫った者は55人に達するという。
 この方は次のような記事も載せられていた。
 オーストラリアでは、去年後半から難民問題では大きな事件が2度あったという。1つはノルウエー船籍の大型貨物タンカーが公海上で難民を救助したそうなのだが、近くにクリスマス島などオーストラリア領の島があった為、船長がオーストラリア政府に保護を求めた。長いやりとりの末、政府はテロリストや麻薬売人の流入を防ぐという理由から上陸を許可しなかったという。衰弱しきった甲板上の難民に、逆に銃器を持った特殊部隊員を乗船させたりした。難民はもともと全員がオーストラリアに向かう意志を持っていたが、難民認定の審査を受ける為、代わりにニュージーランドや南太平洋の幾つかの国に分散させられた。
 もう一つは、難民を満載した老朽船が近海で沈没し、多くの子供や女性を含む300人近くがオーストラリア軍艦の目の前で溺死したというとても悲しい事件だ。軍艦が2隻、1隻は目の前にいたので、素早い救助活動をしていれば、300人の犠牲をもっと最小に抑えられたはずだと書いてあった。

 昨日のNHKスペシャルは、アフガン難民の悲劇についての番組だった。パキスタンのペシャワールにあるシャムシャトゥ難民キャンプにいる人々について取材していた。
 この難民キャンプは3年前にできて現在は6万人いる。彼らは、長い内戦のため難民としてやってきたが、アフガンに帰国すると今回の米国の空爆で再び家が破壊されたという。
 人生は意味がない、平和を見たことがない、血と暴力ばかり、という若者。アフガンには血の川が流れている、という生気を失った老女。アフガンで600本もの葡萄の木を育て農業が生き甲斐だったという農夫も、すべてを破壊されたため虚ろな目をして、ラジオのニュースを聞く気力も失っていた。
 しかもパキスタンでは、難民認定をさらに厳しく制限したため、この農夫は難民として認定される機会を失い、食料の供給を受けられないのだ。
 彼らには家族はいるが、一日一食、隣人から貰うパンと水だけで飢えをしのいでいる。
 こうした難民認定されていない家族が、約700あるという。
 この番組では取り上げていなかったが、孤児になった子供たちも沢山いる。
 孤児たちは、これからどのような人生を歩むのだろうか。
 きっと、孤独と不安と、世界への憎しみがあるのではないだろうか。
 タリバン神学校に入り、武装集団としての訓練を受けたのは、内戦や戦争で両親を失った飢えた孤児たちだった。
 再び、こうした過激な集団が出現しないだろうか。
 テレビには、元タリバン兵士も映っていた。彼はこう言っていた。「アフガン暫定政権で良くならなかったら、再びタリバンが台頭するだろう。私は今もタリバンの教えを正しいと信じている」
 アフガンの人々は生きる希望を失い、他国にも受け入れられずに口を縫ったり死んでしまったり、悲惨な運命に晒されている。
 世界のあちこちで、想像を絶する悲劇が、水面下で起きているのだ。

 世界はアフガンの復興に45億ドル拠出するという。何兆もの膨大なお金を使って戦争を行い殺戮し破壊しては、再び膨大をお金を出して再建するとは、馬鹿げている。
 お金と人の命が無意味に消費されている。
 米国は、定期的に戦争をして兵器を消費しなければ軍需産業が儲からないという社会構造を変えるべきだ。



2002年1月24日(木)「岩村 操 織布展」

 野蚕「エリシルク」やシルクステンレス糸などを素材に織り上げた自然な色彩の織布だった。「エリシルク」で織った大判のショールは、薄くて柔らかく、光を透かす繊細な、天使の衣を思わせる作品だった。一枚が12万円、高いけど売れていた。
 シルクステンレス糸で織ってあるショールも面白かった。ハイブリッド素材で少し硬めだと思ったが、撚糸が使われているため布が縮むことで皺が作られ、草木染めであることも相まって、自然な味わいがかもし出されていた。
 シルクやウール素材のストールもあり、6、7万円だった。
 タペストリーも、木の枝や綿状態の繭など自然の素材で作られていてユニークだった。

岩村 操の織布



「京都美山織工芸展インTOYKO」

 素晴らしい織物だった。美山織とは西陣織から派生した京都の織物である。機械織りが主流になってきた西陣織りに対して、手織りらしさが生かされているのが美山織りだ。そのため、波のような模様や月などの図案や田園風景など、人の手によらないと製作できない模様が織り込まれている。
 手織りの実演もやっていてとても勉強になった。極細の透明なシルクがタテ糸になっていて、ヨコ糸はへら織りやくし織り、その他多様な織り方で織られていた。実に、複雑で味わいのある布だった。
 へら織りとは、波のうねりのような曲線がある物差しのようなものでヨコ糸を打ち込むことにより、ヨコ糸が波のうねりのような模様になる織り方である。くし織りとは、帯の幅より長い櫛状のものでヨコ糸を打ち込むことによりタテ糸が波のうねりのような模様になる織り方だ。なぜそうなるのかと言えば、この櫛の部分がそれぞれ不規則な方向を向いているため、タテ糸同士の間隔に変化がついてうねるような柄になるのだ。
 他に、金色の雲や霞のような幻想的な色合いの布もあった。これはあらかじめ和紙に金色の雲や霞のような絵を描いておくのだ。これを細く切って、順番に織り込んでいくと、織り布の中で絵が再現されるのだ。
 以上のことをとても親切に教わった。
 一般的な綴れ織りは、タテ糸を見せないでヨコ糸を強く打ち込むことで、ヨコ糸のみの色彩で模様を織っていくのだが、美山織りのものは少し違っていた。
 タテ糸を見せる普通の平織りとタテ糸を見せない綴れ織りとを混ぜて、陰影のある絵画的表現がなされていた。さらに、へら織り、くし織り、すくい織りなど独自の多様な織り方も取り込まれ、ユニークな織物の芸術品になっていた。
 必見の織物である。今回は展示だけで価格はついていない。
 今年中にも、京都の美山町にある工房を訪ねてみることを決意した。

美山織り



「〜和のキルト展〜」
 なかなか良かった。元歌手の山口百恵も出品していた。沢山の人が見に来ていた。上記の素晴らしい美山織工芸展の方は人が少なかった。どうしてだろう。






「イラン映画<7本のキャンドル><かさぶた>アボルファズル・ジャリリ監督」

 ジャリリの作品は、装飾がなく、とても地味だ。そのため、物足りなさを感じることもあるが、同時にイランの人々の素顔がストレートに伝わってくる。

 <7本のキャンドル>では、絶望的な問題を抱えながら神の存在を信じ、日々の生活を前向きに生きていく、イランの人々の信仰に根ざした暮らしが描かれていた。
 テヘランに出稼ぎにきている少年シュアン。彼は満足に字を読めず、父親から送られてきた手紙をバスで乗り合わせた隣りの人に読んでもらう。母親の死後、シュアンの妹バルトが原因不明の病気に罹り、全身が麻痺しているという。父と娘のバルトはテヘランに出てくる。病院でCTスキャンなどの検査をしたり祈祷師に頼ったり、鳩の卵を与えてみたり、笛吹の達人にバルトの横たわる前で笛を奏でてもらったり、7本の蝋燭を立てて祈願したり、様々な手当を施す。そんなシュアンを見守り、ほのかな想いを寄せる少女マスメ。しかし甲斐はなく、ついに父親とバルトは故郷に帰っていく。
 だがシュアンは大金をはたいて子牛を買い、人々に振る舞い願いをかける。
 揺れる電車の中で、バルトは横になったまま、兄シュアンの名をつぶやく。

 映画の中に次のようなシーンがある。
 シュアンを助けたいと思ったマスメは、シュアンに目を閉じてと言い、手にお札を握らせる。シュアンは目を開けて、お金か、どうして、と聞くと、マスメはバルトのために、と答える。シュアンは怒った。妹は乞食じゃない! お金が欲しいから蝋燭を立てたんじゃない!
 シュアンはお札をマスメに投げ返して立ち去るのだ。
 イラン人の誇り高さがうまく表現されていた。
 私がイラン旅行に行った時、イランのある家庭に何日か泊まらせてもらった。最後の日に、感謝の気持ちからお金を渡そうとしたのだが、彼らは怒ったのだ。お金のためじゃない、と。
 彼らは物質的には貧しいが、もっと大切な「何か」のために生きている。
 その「何か」のために、私はイランに惹かれてしまうのだ。

 <かさぶた>では、文盲の少年ハメッドが反政府的なチラシを配布したとして逮捕され、少年院に送られる。そこでは名前ではなく番号で呼ばれ、室長に“鳥歩き”をしろといびられたりする。少年院の過酷な生活の中でどのように人間関係を築き生活していくのかが描かれている。
 いたずら、取っ組み合いの喧嘩、シャワーやプールで歓声を上げたり、看守のいない隙に歌や踊りを楽しんだり、彼らの様々な側面が映し出されていた。
 最後に、ハメッドは法廷に立つ。裁判官は言う。何か釈明することはないか? ハメッドは、新聞に反政治的なチラシが入っているなんて知りませんでした、と言う。彼は分盲なのだ。裁判官は、彼の両親についていろいろ尋問してくる。両親の有無などについて話の食い違いがあり、さらに尋問が激しくなる。
 ハメッドはつぶやく。僕はいつ自由になれるんだろうか?

 私はイランで、自由が欲しいという若者たちと話をした。彼らは、ムッラー(イスラム教の指導者)の悪口を言い、政治を批判していた。同時にイランの文化や人間関係を大切に思っていた。自由化への志向を持ち改革を望んでいたが、それは彼らがイランに生まれ、かけがえのない母国として愛情を持っていたからだと思う。

 <7本のキャンドル>と<かさぶた>は、イラン社会の周辺の人間を登場させながら、イラン人を象徴的に描き出していた。



2002年1月17日(木)「世界の不穏/アフガニスタンの現状」

 16日付けの読売新聞には、米比合同軍事演習が始まった、という内容の記事が載っている。演習と銘打っているが、イスラム武装組織「アブ・ヤサフ」の掃討を目的とした軍事作戦で、米国の対テロ戦争はアフガニスタンからフィリピンへ拡大した、と書いてある。
 
 インドとパキスタンの緊張状態も続いていて、国境付近に軍備を集結している。

 米国は、アル・カーイダとタリバンの被拘束者をアフガニスタンからキューバのグアンタナモ基地へ移送した。ジュネーブ条約の権利条項の保護を受ける「戦争捕虜」としては扱わず、「抑留者」とみなし、「違法な戦闘集団」と位置づける立場を明かにしている。
 ここで何が行われるのだろうか。なぜキューバに移送するのだろうか。問題が起きた時、米国は無傷でいたいためだろうか。

 米国はソマリア最大の送金会社も資産凍結の対象にした。そのためソマリアの一般国民は生活困難に陥っている。多くの国民はアラブ諸国や欧米に出稼ぎに出ている身内からの送金が生活の支えになっているからだ。

 その上米国内では「次はイラクを標的にすべきだ」という声も再び高まっている。

 嫌な世の中だ。根本的な問題はまったく解決していない。
 2.3日前の新聞で、クリントン前大統領が、世界の富裕国と貧困国間の、良い意味での相互依存の重要性を述べていた。世界規模の債務帳消しを再度行うべきだとか、エイズ対策や教育助成に負担額を拠出しろと言っている。年間120億ドルあればできるそうだ。この記事によれば米国はアフガンでの戦争に月額10億ドルも費やしているという。
 殺し合いの報復合戦に莫大な金額を費やすなんて、すごく愚かなことをしていると思う。
 しかしクリントン政府も、1998年にケニアとタンザニアでアメリカ大使館が爆破された報復として、アフガニスタンに突然ミサイルを撃ち込んだ。
 同じ1998年、クリントン政府は化学兵器を製造しているものとみなしてスーダンの「アル‐シーファ工場」を爆撃した。だがそこは普通の薬品工場であった。チョムスキーによれば、スーダンの主要な薬品の90%を生産していた「アルーシーファ工場」が破壊されたために、薬品が途絶え、攻撃から一年後、スーダンの死亡者の数が静かに上昇を続けていて、何万人もの人々が死んでいるそうだ。こうした行為の謝罪はしたのだろうか。
 このような連鎖の上に、テロ事件が起きている。フィリピンやソマリアを攻撃し始めたら、テロ対策どころか、新たに憎悪が生み出され再びテロ事件が起きるだろう。

 日本もこれからどうなるかわからない。こうした問題には、できるなら関わっていたくない。だがますます不景気になって、こちらもいろいろと迷惑を蒙る一方だ。無関係ではいられないのだ。はやく報復合戦をやめて、もっと第三世界の貧困、医療、教育などの問題にお金を使ってほしい。

 ベトナム戦争では戦況をメディアに公開していたために、反戦運動が高まり、米軍が撤退して終結した。そのため、ベトナム戦争後は、米国は戦況をメディアに公開しなくなった。私たちは、戦争でどんな残酷なことが行われているのか、知る機会を与えられていないのだ。その上、米国は言論統制も行っている。戦争反対運動も起きにくい状況だ。
 私たちは無知なまま、世界戦争に引きずり込まれていく可能性が高い。

 今日の日付の読売新聞には、日本政府はアフガニスタンへの復興支援として4−5億ドル、地雷除去に1540万ドルを拠出する方針を表明した、と書いてある。これはとても建設的なことだ。税金が良いことに使われるので、私も嬉しい。

 ところである方から下記のようなメールをもらったのだが、私には今のところアフガンに送る冬物の服がないので、せめて転載して他の人に読んでもらいたい。想像を絶するアフガンの状況が書いてある。

■■■ Mr.ハールーンが見たアフガニスタン ■■■
http://www.eeeweb.com/~backup/haroon.html

**********************************************************
大塚モスク理事のひとりであるMr.ハールーンは、2001年11月20日、パキスタンから空爆の続くアフガニスタンへ入った。
**********************************************************

なにもかもが足りない。
アフガニスタンでは、命を支えるためのものが、なにもかも足りないのです。

私がアフガニスタンとパキスタンとの国境トルカムを訪れたとき、そこには、EDHIトラスト(NGO)の救急車で数時間前に病院に運び込まれた患者の父子2人、Dr.シャハブディンと彼の息子がいました。Dr.シャハブディンは、6人の息子、3人の娘、そして、彼の奥さんと、首都カブールで暮らしていましたが、アメリカ軍の空爆によって彼の家が破壊され、かろうじて生き残ったのは、彼と、6歳になる息子の2人だけでした。
Dr.シャハブディンは、自分が負った大怪我よりも、精神的ショックがあまりにも大き過ぎて、意識を失ってしまいました。そして、6歳の息子には、そのとき、まだ家族の死について、なにも知らされてはいなかったのです。

しかし、このようなことは珍しいことではありません。

多くのふつうの人々の家が空爆され、破壊され、多くの人々が命を奪われました。
アフガニスタン国内では医療設備がどんどん機能しなくなって行っています。

空爆で大けがをした人を助けたくても、麻酔薬がないのです。痛みにもがき、暴れる患者をロープで縛って、手術していました。軽い怪我の場合は、縛りつけて手術出来ますが、大きな怪我の場合、縛りつけるわけにもいかず、手の施しようがなくて死んでいくのでした。
多くの助けられるはずの命が、目の前で天に召されるのです。

カブールの病院に頼まれて、パキスタンの麻酔薬を売っている会社にお願いして、無料で麻酔薬を提供してもらいました。これを届けたので、この病院では麻酔が出来るようになりましたが、他の病院では依然として、麻酔薬がないのです。

麻酔薬ばかりではありません。輸血用のバックや注射針がないため、献血をするボランティアは溢れていても、輸血が出来ずに、また、多くの命が奪われていったのです。

都市でもこのような状態ですから、地方ではもっと酷い状態です。

カンダハルの数少ない女医、Dr.ジャミーラのもとへは、毎日、多くの女性が、おなかが痛むと言って、山を越えて何十キロも歩いて診察に訪れていました。

彼女たちのおなかには、石がたまっているのです。

彼女たちは、空腹を紛らわせるために、石を食べているのだと言いました。
もちろん、草も食べているそうです。餓死している人も多くいます。
それ程、山の方は危機的な状況です。
国際機関やNGOの支援の手が、彼女たちに差しのべられているとは、とても言えない状況が続いています。
世界食糧計画の発表した、『アフガニスタン救援活動の成功に「楽観的」』※1というコメントはウソだとしか言いようがありません。

難民キャンプですら、食べ物が満足にある状態ではないのです。

ぺシャワールに近いシャムシャット難民キャンプは、比較的古いキャンプです。2つに分かれていて、一年程前に出来た新しい方はシャムシャット2、もしくはNewと呼ばれています。ここでは、10月に入ってから、急激に難民が増え続けています。彼らの多くが、空爆から逃れてきた難民です。しかし、彼らにはなかなか難民認定が降りません。

難民認定が行われて、はじめて、国連などの支援を受けることが出来ます。認定された難民には小麦粉、油、レッド・ビーンズが各家庭に配られますが、空爆で郷里を追われた人々にはなにもありません。人々は、お互いわずかな食糧や持ち物をわけあい、助けあって生き延びようとしています。たったひとつのナンを2つの家族でわけあっているのです。それでも、あまりの空腹と、厳しい寒さに、どんどん人々が死んでいくのです。

私は、クエッタから国境を超えスピンボルダックと言う町に有るキャンプを訪れました。そのキャンプの人口は、10万人以上でした。この人たちはアフガニスタン国内にいるので国連が難民として認めません。そのため、いろいろな援助を受けることができません。運のいい人は、NGOから貰ったテントで暮らしていますが、それさえない多くの人は、ただ棒を立てて、布をかぶせただけのテントのようなものを作り、その中で暮らします。下に敷く物もなにもなく、凍りつくような地面に直接家族がくっ付き合って寝ています。

私は、アフガニスタンや、周辺国の難民キャンプで、様々な物資が足りないと、言われ続けました。ガスマスクを手に入れてほしいというお願いもありました。医者たちはガスマスクが必要だと、訴えています。

彼らは、アメリカが化学兵器を使っていると言います。多くの患者の症状から、間違いがないと。しかし、アメリカ側は、これを否定している。ニュースとしても、ほとんど流れていません。

そして、アフガニスタンの全人口の半分以上の人々、一千万を超える人々が、今日も、飢餓や寒さに追いつめられ、命を脅かされ続けていることも。

**********************************************************

Mr.ハールーンは、大塚モスクが主宰した支援プロジェクト【アフガニスタンへ、暖かい衣料を贈ろう!】の遂行のため、また、アフガニスタンへ向かう。

彼は言う。『この支援は、本当に、緊急措置。飢えに寒さで人々がどんどん死んでしまう。衣類を送ることは比較的簡単なのでせめて、暖を取って命を繋いでほしい。』大塚モスクでは、今、第3回の呼びかけを行っている。

衣料物資の受付期間は1月15日(火)〜22日(火)17時 必着くわしくは、下記のHPへ。http://www.eeeweb.com/~backup/

**********************************************************

なお、医療品、食糧、毛布などを現地で購入するための募金も合わせてお願いしています。
振込先:口座名義 JITアフガン難民ファンド
(JITは大塚モスクの母体です。以下、便利な方をお使い下さい)
■郵便振替 00150−9−98307
■東京三菱銀行大塚支店 普通口座 1415181
       (お名前がわかりにくいので自動振込機でお願いします)

**********************************************************
※世界食糧計画『アフガニスタン救援活動の成功に「楽観的」』
http://www.eeeweb.com/~constitution/vaccine/news/afp1109.htm
**********************************************************
Mr.ハールーンはアメリカの使用した化学兵器についての情報を求めています。



2002年1月15日(火)「イラン映画<スプリング><トゥルー・ストーリー>アボルファズル・ジャリリ監督」

 ジャリリ監督の作品は、子供たちの苛酷な状況を描き出し、イランが直面している社会問題を浮き彫りにしているのが特徴だ。そのため、イランではジャリリ監督のすべての作品が上映禁止だった。しかし世界での評価は高く、いくつもの賞を取っている。
 私の場合は、ちょっと苦手だな、というのが第一印象なのだが、でもまた見たくなるのだ。どうしてだろう。
 目をそむけたくなるような苦難を扱いながら、感動をねらった作品ではない。飾りがなく、ドキュメンタリーとフィクションとの境がないような映画なのだ。
 それだけに、現実の社会問題として考えさせられるし、ずっと記憶に留まってしまう。イランの表向きの顔ではない、周辺の人々の陰の側面が描かれているので、興味がわいてくるのだ。

 <スプリング>は良かった。
 イラン・イラク戦争の最中、少年ハメドは、住んでいたボスタンの街が軍隊に占拠され、森へ逃げてくる。森番をしているシナという老人が彼の面倒を見ることになり、二人で暮らし始める。戦争を目の当たりにしてきて、両親が残っている故郷を案じて泣き出すハメド。妻が死んで一人で余生を送るシナ。
 明け方の森、雪の降る泉、木々の間をいく舟、など美しい森の風景の中で、ハメドは不安で淋しげな面持ちで暮らしている。ラジオからは、戦況の様子が流れてくる。彼はラジオに異常なほど不安を抱いている。
 二人が心を通わせていく姿が、イランの北部、カスピ海の近くの森を舞台に清冽に描かれていた。
 1985年の最も辛い戦況の時に、戦争終結への願いを込めて制作された。
 国や民族によって人々を分けることには意味がない、とジャリリは言う。

 <トゥルー・ストーリー>はまあまあ。
 ジャリリが新作の主演に選んだ少年サマドは、幼い頃に大きな火傷を負ったために走ることができなかった。しかも悪化して癌を発症している可能性があり早急に手術が必要だった。
 それを知ったジャリリは、新作の撮影を放棄して、彼の足を治療することを決意する。そしてその過程をフィルムに収めていくのだ。
 それからは、サマドへのインタビュー、スタッフとの話し合い、診察風景、医師たちに治療風景を撮影させてくれ、とジャリリが必死で頼みこむ場面が映し出される。
 そして、手術シーン。サマドの母親へのインタビュー。「彼らが一生懸命なのは、彼のため? それとも映画のため?」「治るのならばどっちでも良い。ジャリリさんに感謝しています」
 手術は無事に終わり、報道陣が詰めかけフラッシュをたたき、担当医師がインタビューに答える。
 ジャリリは、「事実の物語」ではなく「真実の物語」すなわち<トゥルー・ストーリー>を描き出した、と言う。
 しかし、皮膚を切り取ったりするリアルな手術シーンを、必死に頼みこんで撮影する必要性は何だろうか、という疑問を持った。

 ところでもうすぐ、マフマルバフ監督の映画特集が、渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映される。
 マフマルバフ監督の奥さんの映画「わたしが女になった日」は2月2日から上映される。これも行くつもり。



2002年1月11日(金)「普通の人が行う日本の再建」

 「テロ以降を生きるための私たちのニューテキスト」(角川書店)という23人の文化人の言葉を寄せた本がある。この中の、星野智幸さんの文章はとても鋭かった。それは次のような内容である。
 「戦争を必要としている人が、なんと多いことだろう。……日本の既得権益層、及びそれにすがって生きている人々は、明かに昂揚している。生き生きしている。<他人事ではないから米国とともに戦おう>という小泉首相に賛同する者も、米国マスメディアの系列会社かと思うような報道を一斉に展開している日本の大手マスコミ各社も、カリスマ的な批評家の言葉に引っ張られて日本の参戦への反対を同じような言葉で訴える一部の言論人も、これまで見つけられなかった生き甲斐を発見したかのように、溌剌として見える。……要するに、戦争という巨大な文脈に、誰も彼も乗っているだけではないか、と思う。その巨大さに寄り添うことで、自信を得るのだ。」

 心の空虚を自分で解決できない、というのは様々な問題を生む。自信の欠如、孤独、家族に依存して相手の自立を喜べない、他人の方向性や感じ方に関心を持てない、見た目に惑わされる、権力や多数派になびきやすい、他人から優越したいために勉強する、昇進のために働く、相手を屈服させようとする、威張りたがる、見栄をはる、新興宗教や麻薬への逃避、など上げればきりがない。
 このような問題は、虐め、家庭内暴力、自殺、少年犯罪、性の商品化、独身や離婚の増加、フリーターの増加、鬱病、引きこもり、宗教組織によるテロ、など様々な犯罪や社会病理を引き起こしているが、さらに危険なのは国家権力や「正義」という大義名分に煽動されやすいことだ。
 「正義のために戦う」という生き方は一見高尚だが、仮の充足感となって空虚な心を埋めてしまう。これはとても危険なことだ。戦争がなくならないのはそのためではないだろうか。
 個々の戦争には、国益や宗教や民族の対立など様々な理由があると思うが、民衆レベルでは、戦争のため、つまり正義のために戦う、ということが心の空虚を埋める偽の充足感になってしまい、戦争に参加することで昂揚としてしまう。戦争を仕掛ける政治家たちは、こうした民衆の心の空虚につけ込んでいると思う。
 戦争や正義や世界のために戦う、ということがひとたび自分の存在理由になってしまうと、徹底的に敵を打ち負かしたいと人生を賭けるようになる。
 例えば、「自爆テロ」というのはそうではないだろうか。
 超大国である米国も、正義と文明の世界権威として振る舞うことで自国の誇りと存在意義を保っているために、従わない国をやっつけて屈服させようとするのではないだろうか。
 1972年に連合赤軍が同志14人をリンチで殺した事件も、革命が彼らの人生の意味になっていたために、引き起こされたのではないだろうか。

 もしも生き甲斐としての仕事や趣味を持っていて人生の楽しみと尊さを知っている人なら、破滅しかないエゴとエゴの争いに命を賭けたりはしないだろう。心から世界の平和を願うために話し合いを望むだろう。
 生きる楽しみや意味がない時、正義のために戦うという昂揚感に突き動かされ、戦争や血を流す革命へと傾いていくのだと思う。
 空虚を自分で解決していない人間の口から出る「正義」はなかなか信用できない。

 今まであげた様々な問題を解決していくことが、日本を内側から再建することだ。そのためには、人生の楽しみと尊さを実感として味わえる生き甲斐を見つけることが重要だ。
 なかなか見つからなければ、こうした自分たちの空虚を自覚して、周囲を破滅に導かないようにコントロールしていくことが大切だと思う。
 空虚な大人が多い世の中、大人だから親だから世話になっている人だからといって、彼らの欠点まで見習ってはいけない。
 これは結構難しいのだ。
 特に世話になっていたり周囲から誉めそやされている相手だと、つい欠点まで知らず知らずのうちに真似てしまう。
 相手が親でも立場が上の人でも、欠点を批判の目で見れる強さと、長所は学ぼうとする賢さの両方を持って接するのが良いと思う。
 立場の強い人間を全面的に尊敬し従い、立場の弱い人間に対しては存在の価値まで低く見て馬鹿にしている、という人が多いと思う。
 これも、前に書いたことの繰り返しになるが、自分に自信がないためだ。
 私たちは、自分の空虚を自覚して、生き甲斐を自分の内に見つけるか、見つからなければコントロールしてエゴが暴走してしまわないように気をつけなければならない。

 ところで今、イラン映画のアボルファズル・ジャリリ監督の特集をやっていて、6本の映画が三百人劇場(文京区本駒込)で上映されている。1月27日までで、週ごとに上映されるフィルムが違うみたいだが、私は観に行くつもりだ。



2002年1月5日(土)「人は平等なのか」

 今日、NHKの「真剣十代しゃべり場」で高校生たちが討論していた。島田雅彦も出演していた。いろいろ考えさせられたが、私の考えはこうだ。
 「平等」「不平等」というのは、人間の共同体が自分たちの欲望や都合で勝手に作り上げた見方だ。本来、「平等」「不平等」といったものはないのだ。
 それでも人間が生きていく上で、「不平等」や「差別」を訴えなければいけないのは、ある一つの側面、例えば肌の色、テストの点数、走る速さ、生まれた地域や国、などで、人間の存在の価値まで勝手に決められ一方的に不公平な扱いをされてしまうからだ。
 人それぞれが持つ能力は様々で、一つの能力においてもレベルはあるし、努力家もいれば怠け者もいる。
 そこには差異があり、レベルの違いもあるが、そのことによって人間の価値の有無まで判定してしまうのが間違いなのだ。
 例えば、数学の点数が悪いのを見て、「あいつはダメな人間だ」と存在の価値まで否定するべきではない。ある側面で他人より劣っていても、その人間の中にある可能性、どの方向に伸びるかわからない命の芽のようなもの、未知の領域までを否定することは人権侵害だ。
 個の多様性や能力のレベルを認めていくことと、差別という人権侵害はまったく違うものだ。
 「不平等」や「差別」が問題になるのは、このことを勘違いして、ある側面から人間の存在の価値まで軽々しく否定してしまうからだ。
 私たちは、どの人間にもある可能性や未知の領域を、一方的な見方で軽々しく侵害すべきではない。



「<わたしの息子はニューヨーカー>宮内喜美子」

 去年は小説家の宮内さんのHPから多くのことを学んだ。宮内さんから、世界を一ミリでも変えていこうと考え抜く姿勢を受け継いでいきたい。
 奥様の著作「わたしの息子はニューヨーカー」(集英社刊)からもいろいろ学んだ。これは、1983年〜91年までの家族3人のニューヨーク生活について書いてある。まだ幼い悠介君のアイデンティティや言葉の問題など抱えながら母子とともに困難を乗り越えていく生き様が、優しさや繊細さが滲み出る文体で描いてあり、こちらまで勇気づけられた。
 一番印象に残ったのは、冒頭部分の「知り合った時から定職なし、年がら年じゅう失業中の、作家志望の彼と結婚しようと思ったのだって、こういう人と一緒になれば、お金はなくても未来は未定、なんだかワクワクする楽しい人生が待っていそうな気がしたからです」という言葉だ。
 英語だけで意志疎通をしなければならない保育園、不便なアパート、人種差別、メキシコの山での遭難、など異国でぶつかる様々な困難を宮内さんと一緒に乗り越えていた。宮内さんと共に人生を歩まれていく決断を貫かれた、冒険心を持った女性としての話だと思った。

 三十前後の女性と話をして感じるのは、男友達が多く、性関係を沢山持っても、心の底から男性を尊敬している女性は非常に少ない、ということだ。男友達が多く性に気軽な女性や水商売の仕事をしている女性ほど、男ってこんなもんよ、あの人も所詮は男よ、と男性を小馬鹿にしている人が多い。
 沢山の男性と関わってはいるが、ある一面を通してがっかりしてしまっているわけだ。これも独身が増えている理由だと思う。
 自由に異性とつき合っているように見えても、内実はお粗末な関係であることが多い今の恋愛事情の中で、好きになるとは、結婚するとはどういうことなのか、を学べる本だと思った。



2002年1月3日(木)「<われら猫の子>星野智幸/心の穴を子で埋めようとする怠惰な中高年に捧ぐ」

 義父と義母に挨拶に行こうと思う時、いつも憂鬱な気持ちになる。彼らの部屋には目のないダルマが飾ってあって、孫が生まれたら目を入れようと、いつも出産を待ち侘びているのである。孫が生まれないと、何のために生きてきたのかわからない、と言う。他に生き甲斐がないのだ。だから、いつも彼らの部屋には淋しい雰囲気が漂っている。自分たちが淋しいのは私が子供を産んでいないせいだと思い込んでいる。彼らに近寄りたくないのはそのためだ。
 義父は、子孫の繁栄のために子供を作らなければいけない、世界のためだ、と言う。確かに子育ては、社会貢献のために行われるべきだ。しかし、社会や世界の貢献のために、自分とは違う人生を歩む自立した人間を育てる時、自分もやりたい仕事で社会に貢献している必要がある。自分の望む仕事を通して社会とつながり、子育ての環境を整えてから、子供を産むべきだ。
 愛情やお金などが不足した劣悪な環境で生まれた子供は、非行や犯罪に走りやすいし、幸せな人生を送れないと思う。ここまで極端ではなくても、生活のために嫌いな仕事をしていて夢も叶えられず世界への幻滅や不信感を持っている未熟な親は、子供を未熟な大人にしか育てられなくて、あまり社会貢献にならないのではないか、と思う。
 自分の淋しさを、子供が生まれないせいにしてはいけない。自分の心の穴は自分で埋めるべきだ。本当に子供を育てたいと願う人は、一人でも満足している人だと思う。そういう人でないと、配偶者や子供との間で健全な愛を育めない。
 他人に関心があるわけでもなく、自分が何者であるかもわからないのに、ただ自分の心の空虚から子供を作っても、子供もまた何のために生まれたのかわからない空虚を味わうことになるだろう。まずは自分の空虚を解決すべきだ。

 <われら猫の子>には、子供を積極的には作りたがらない若夫婦の生活が淡々と描かれていた。文学なので、ストーリーを追って説明しても、この作品が持っている意味は伝わらないだろう。
 この小説を読んだ時、九州でのサワガニの生殖異常のニュースを思い出した。メスに男性器、オスに女性器ができたりする異常で、原因は不明だということだった。目に留まりにくい自然の中で異変が少しずつ起きているのだと思った。この小説でも、人間の自然な生き方から少しずつずれていく不気味さと不安感が基調としてあった。
 フィアンセとの国際電話の愛の会話を、いつか惰性の生活になってしまうかもしれないことをすでに予感してテープに録音しておいたり、やがて結婚した妻が地震で起きて、「一人で逃げたのかと思った」と信頼の絆が完全ではないことを示す言葉を言ったり、不自然な性交渉やこれからはもう性交渉をしないだろうと主人公が持つ予感、子供も作らないだろうという思いなど、結婚はしたものの今ひとつ確かなものが持てない曖昧さが描いてある。
 彼らは、子孫を残さないという確固とした主義を持っているわけではない。もっと自然な存在でありたいと願っている。
 この夫婦に潜む問題は、現代の人々の心の中にある、本気で成りたいものがない、やりたいことがない、多数派や権力になびきやすいという自信のなさと深い所で繋がっている。自分が何者なのかわからない曖昧な人間は、異性との関係性においても自信がないのだ。
 彼らは何のために一緒にいたのだろうか。
 「……それでも近くにいて触りあえるということは、かけがえのないことなのだと成田で確信したからだ」と書いてあったので、きっと愛情があったのだと思うが、これが夫婦関係かと思うと切なかった。

 彼らに魅力を感じるとか、このような夫婦になりたい、という気持ちは私にはないが、時間が経っても気になる作品であり、やんわりと気に入っている。
 というのは、彼らは自分たちの関係に潜む脆弱さをなんとなく自覚していて、自分に嘘をつくこともせず、虚勢を張ることもなく、自分たちの内面や状況に沿って誠実に生きようとしているからだ。

 星野さんのHPの2000年12月5日の日記にこう書いてある。
 「……自分という器の内実を埋めるのが何であるかわからず、器を空っぽのまま放置してある。下の世代はその空っぽの器を見て育つ。自分が空っぽだと思って平然と生きていられるはずは、本当はないのだ。そんな私の世代の生き方が見かけと異なって歪んでいるのは、望まざる独り者が多いことからもわかる。好きこのんで独りでいるわけではないのに、空っぽのまま形式的に結婚し家族を持ちというスタイルからわずかずつずれてしまった人が大勢出てきているのだ。……形式的に手堅く生きてきた主流の者たちは、空の器ではない生き方があるのだということを身をもって示さない限り、空の器たる自分たちが産んだ子どもに復讐されるだろう」
 この言葉を、空虚さを子で埋めようとする怠惰な人々に捧げたい。さらにこのテーマは、「毒身帰属」や「毒身温泉」の「死ぬまで一人で生きるとはどういうことか」という問題に発展していく。
 これらの小説は、あまり話題にはなっていないかもしれない。その理由は、日本が戦後の経済成長のために、ずっと目をそらせてきた心の内実の問題を扱っているからだと思う。
 しかし、物と金で豊かになった日本の内側に潜むこの問題を直視していかなければ、少年犯罪、援助交際、独身の増加、少子化、フリーターの増加、などの様々な問題は解決しないだろう。

 「われら猫の子」は、文芸家協会編の『文学2002』(講談社、今年5月ごろ刊行)に収録されることになった、と最新の日記に書いてあった。



2002年1月1日(水)「私のお正月/烏骨鶏料理の仕方」

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
 私は繁華街に近い所に住んでいるためか、お正月といってもお店はところどころやっていて普通の連休と変わらないような気分だ。コンビニ、丸正などのスーパーマーケット、「松屋」のチェーン店、スターバックスなどのいくつかのコーヒーショップはやっていて、若者が普段と同じ格好で街を歩いている。

 だからおせち料理という保存食は基本的に作る必要がない。気分だけでも味わうために作ってみようかと思うけど、私の連れ合いはおせち料理は冷たい煮物のようなものだから嫌いだ、という。
 圧力鍋を買ってから、豆料理などが30、40分ぐらいで作れるようになり、日常的に食べるようになった。黒豆なども特別な料理ではなくなった。
 そこであまり作ったことのない薬膳料理を食べてみようと、青山の紀伊國屋スーパーで烏骨鶏を買ってきた。一羽2000円だった。でも食べ方がわからない。店員さんに聞くと、ネギやショウガなどの辛味野菜と一緒にゆでてスープにすれば良いという。
 料理の本にも書いていないし、ネットで調べてもわからない。スーパーでは、時々レトルトの烏骨鶏スープというのを見かけるので、要するにゆでてスープにすれば栄養が滲出して良いのだろう、と思った。

 そこで、干し椎茸と乾燥貝柱と昆布を一晩漬けてもどした水に、クコの実、松の実、ネギ、ショウガ、を入れて、烏骨鶏と一緒に圧力鍋でゆでた。この時、そろそろ食べなければいけないと思っていたエリンギを冷蔵庫の中に見かけたので、つい圧力鍋の中に入れてしまった。
 それから数十分が経って、蓋を開けると、お腹を突き出し、両足と両手をひっこめ、長い首をだらんとさせた目もくちばしもある、そのままの姿をした裸の黒い鳥が、ベージュ色の混濁したスープに浮かんでいた。

 グロテスクな姿だな、と思いながら肉を食べてみたら美味しかった。
 でも気になるのはスープの方。どうして濁ってしまったのだろう。エリンギを入れたためだろうか。頭部をつけたままゆでたせいなのだろうか。もともと混濁するものなのだろうか。 紀伊國屋スーパーで売っているチキンやピジョンは、頭部や内臓は除去されていて、そのまま焼くかゆでれば良いようになっている。
 しかし、烏骨鶏は頭部もついていた。ということは、頭部もゆでたら美味しいという意味で、サービスなのだろうか。それとも頭部は切り捨てて調理すれば良かったのだろうか。
 ところで、狂牛病を思い出した。鳥は大丈夫だろうか。もう、頭部から十分栄養が滲み出たスープを飲んでしまった。

 栄養が豊富な料理であることは間違いない。去年は、スパイスをほとんど使わずただ煮込んだだけなのだが、一晩冷蔵庫に置いておくと、スープがゼラチン状になっていた。コラーゲンがたっぷり滲出したのだとびっくりした記憶がある。
 烏骨鶏は、動物の中で、唯一食することでアルカリ性になる食肉で、中国では漢方薬として使用されていた。烏骨鶏には細胞の活性化を促したり血液を浄化する作用があり、高血圧、糖尿病などの血に関係する病気には有効な働きがあるそうだ。

 料理法は長時間煮込んでスープにするのが一般的で、干し椎茸、乾燥貝柱、ネギ、ショウガ、クコの実、マツの実などで煮込むそうだ。

 烏骨鶏料理の調理方法が書いてある下記のページを見つけた。
http://www.kodawari.co.jp/yamautiya/what.html

人参鳥鶏湯(レンシェンウージータン)
■材料
 烏骨鶏(一羽)、薬用人参(小二本)、白米またはもち米(少量)、清酒または焼酎(200cc)、ねぎ(適量)、生姜(適量)

■作り方
お米とその他の材料を全部同時に鍋に入れ水(5〜6リットル)を加えて、トロ火で肉と骨が離れるまで長時間煮る(6時間程度)。水が少なくなるようなら足す、少量の塩、醤油で味を整える。
■飲み方
お米とその他の材料も食べる。スープは、ガーゼでこして毎日コップ一杯を朝晩飲む。残った分は、300〜400cc程度に分けて冷凍用ビニールに入れて、冷凍して、飲む分だけ解凍して飲む。

 ついでに紀伊國屋スーパーのHP、食材を注文できるそうだ。
http://www.e-kinokuniya.com/