2001年12月29日(土)「<ふたり>唐沢寿明/夢を抱いている若者と、何かをあきらめてしまった希望のない中高年に捧ぐ」

 人生の前半をだいたい生きてつくづく感じることは、好きなことを仕事にすることができて、しかもそれで食べていくことができ、好きな人と結婚し子供をつくり、住居を買って趣味も持てる、この一見当たり前なことが、非常に難しい、ということである。
 好きなことを見つけることが難しいばかりか、たとえ見つけても、それを仕事として成り立たせている人はとても少ない。その上、好きなことを仕事にしたとしても、それで生活ができる人は皆無に等しい。食費を得たとしても、住居を買ったり趣味などを楽しむ余裕はない。昼も夜も、土日も働きずくめになる。そうしないと生きていけないのである。
 日本は表面的には物の豊かな国に見えるが、実は心の満足を伴った生き方をしようとしたら、経済的に破綻しかねない。心や気持ちは抑圧してどこか無理して生きなければ、就職、結婚、住居の購入、子育て、という人生サイクルを辿れないのである。
 これは異常な環境だ。だから、本来私たちは、この異常な環境を変えていこうと努力すべきなのだ。が、実際はもうあきらめてしまっている大人が大部分だ。
 自己実現や夢を叶えることなど、遠い世界のこと、それどころか、そんな甘ったるい世界はないものとして開き直り、食べるために虚無的な淋しい人生を自ら進んでいる人が私の周りには沢山いる。
 そんな人々の間で、たった一人が生き甲斐を見つけて励んでいたら、生活のための仕事(金策)で人生が成り立っている彼らの口からは、「好きなことができて暇なんだね。こっちは忙しいよ」という小馬鹿にした言葉が出てくるのである。彼らにしてみれば、実益の伴わないことをして人生を過ごす人は、現実離れをした大人になりきれない未熟な人間に見えるのである。
 自分を生かすことをとうにあきらめてしまい、人生サイクルをただ惰性でなぞって生活しているだけの、おじさん、おばさんに、この本を捧げたい。

 このエッセイは幻冬舎から文庫本で出版されている。素晴らしい内容で、時代を超えるロング・セラーだ。
 強い意志を持って、何もないところから自分のやりたいことを明確にして、様々な困難を乗り越え達成していく青年の成長物語だ。
 世の中には、知識や教養を持って理屈をこねたり威張っている大人は多いけれど、自分のやりたいことを達成していく大人は非常に少ない。
 この青年は、役者になりたいという夢を持って、高校を中退し、もともと希薄だった家族とのつながりを断って家を出ていく。この時の彼の言葉が印象的だ。
 「望むものを手に入れるためには、何かを捨てなければならない。捨てるものが多ければ多いほど、進む道ははっきりしてくる」
 その後は、3畳ぐらいの部屋で寝起きしたり、ドサ回り、劇団結成、売り込み、できることは何でもやる生活が続く。しかしある人から促されて、レコード会社を回り始めるのだが、彼は微妙なズレを感じ始める。この時を振り返る言葉もとても良い。
 「自分のやりたいことでなら、どんなことを言われても、どんな目にあわされても、ひとつの経験として積み重なっていくものがある。しかし焦りからなのか、人の言葉に乗せられたのかはともかく、まったく違う場所で蔑まれることの辛さ。ゴミ扱いされることの屈辱。おれがダメになる時期があったとしたら、あの時だったと思う。しかしおれの中には<自分はダメじゃない>という叫びたいほどの思いがあった。……踏みつけられてつぶされる人間と、踏みつけられるほど強くなっていく人間、その違いは何だろう。おそらく<自分はダメじゃない>という人としてのプライドではないだろうか」
 彼は役者への夢を再確認するが、演技の練習のために時間が必要だった。しかしお金もない。彼は割の良いショーパブのアルバイトを始める。だが、給料がとても良く大金だったため、彼はこう考える。「今、ここで、本来の目的ではない場所でこんなにお金をもらったらダメになる。ここは1年でやめよう」
 とても志が高い青年である。段々テレビのドラマ出演などの依頼がきはじめ仕事をこなしていく。そんな矢先、山口智子と出会う。
 「おれをまるごと認めてくれ、注いでも注ぎ足りない思いで愛情を授けてくれた初めての女性が、山口智子だった」
 山口智子も、表舞台では見せない自信のなさや悩みのある普通の人間としての素顔を彼には信頼して見せることができたようだ。
 俳優同士、手を取り合って生きていく決意をする。
 「彼女と同じようにおれの中にも大きな空洞はある。……何か大切なもの、かけがえのないもので、それを埋めなくてはならない。おれはその大切な何かをどこかで失っている。失ったものだから、それが何かはわからない。けれど彼女の持っているものが、その空洞を埋めてくれているということだけは感じることができる。」
 彼は結婚を決意し記者会見するところで物語は終わる。

 生活に追われて個を失いあきらめと共に太ってしまった大人が周りに多いということは、どんな大人をモデルにして生きていけば良いのかわからない、という希望なき環境にいるということでもある。
 そんな時、この本を読むと元気が涌いてくるのである。読んで時間が経った今でも、彼の言葉は心の支えになって、前へと背中を押してくれる。



「フォトジャーナリスト・山本宗輔氏の見たイスラエル」

 山本宗輔氏が信濃毎日新聞に掲載されたご自分のレポートを、宮内勝典氏のHPの「海亀広場」という掲示板に、転載されていた(bQ20とbQ19)。以下は私が抜粋した文章である。
 <十年ぶりのパレスチナ取材での実感を、誤解を恐れずに一言で表現すると、パレスチナ人は、「民主主義国家」を自称するイスラエル政府による一方的な戦争を仕掛けられている、といっても言い過ぎではない。…… 私が取材中の十一月中旬、イスラエル軍はアメリカ製の攻撃ヘリや戦車を動員し、ロケット砲、マシンガンを用い、深夜の時間帯に連日のように攻撃していた。道路には戦車砲の爆弾がさく裂してできた大きな穴がいくつも開き、水たまりができていた。イスラエル軍の陣地側に面した建物の壁は、ことごとくハチの巣模様。万を超える銃弾の雨が降ったのだろう。小さなクリニックさえも、壁に大きな穴が空き、ベッドは丸見えで薬品が散らかっていた。
十年前のイスラエルはここまで傍若無人ではなかった。しかし、今はそれでは済まない。自治政府とは名ばかりで軍隊を持つことは許されず、自力で土地や住宅を守る術を持たないパレスチナ人をしり目に、武装ブルドーザーで住宅街を跡形もない更地にしてしまう。人口の密集するガザ地区は、そうして更地になった家が数え切れない。中でもツファーは日替わりで光景が変わるほど生活が危険にさらされていた。……
昨年九月に始まった第二のインティファーダ(解放闘争)は、十四ヶ月間にパレスチナとイスラエル両者合わせて約千人の犠牲者を生み出し、憎しみと暴力の連鎖は止まる気配がない。死者はイスラエル側一人に対し、パレスチナ側四人の割合だ。パレスチナ人の犠牲者の方がはるかに多いが、事実とは裏腹に、「パレスチナはテロリストの温床」とのイメージが定着しつつある。石を投げる子どもを射殺するイスラエル軍兵士たちはテロリストではないのか、素朴な疑問もわく。
 イスラエルは自治区を封鎖し、検問や道路に置いた障害物で、パレスチナ人の自由を奪いとる。真綿で首を絞めるように、パレスチナ人から仕事と収入の機会を奪う経済封鎖が一年以上も続く。アメリカと肩を組んでパレスチナ人組織をテロリスト集団と名指しようとも、武力で占領され続けるパレスチナ人にとり、「だれがテロリスト」なのかは全く異なる。このことを日本人はもう少し知る必要があるだろう。>

 このままパレスティナが衰弱していき、アメリカやイスラエルの意のままになって消滅してしまうことがあったら、とても悲しい。
 この間、渋谷の青山に「ニュースタイム」を見にいった時にも、場内に無力感が漂っていた感じがした。
 今私にできることは、この現実と向き合い、どうしたら良いのかを考えることだろう。



2001年12月23日(日)「<生きる夢〜イラン国境・アフガン難民の子供たち>マジッド・マジディ監督/イラン映画」

 昨日、NHK BS1で放映された。今回の戦争で、アフガニスタンからイラン国境付近に逃れてきた難民を撮ったドキュメンタリー映画だった。
 撮影隊はイランの国境付近のサボルから約7キロ離れた、アフガニスタンのタリバンの支配下にあるマカキキャンプに行く。
 そこでは、沢山のアフガン難民が地面に墓のような穴を掘って暮らしている。テントを張っている難民もいるが、テントをもらえなければ穴の中に住む他ない。一人の少女の死体が運ばれている。彼らはみな、飢え、寒さ、病気と闘っていて、まず抵抗力のない子供たちから弱っていき死んでいくのだ。
 彼らは一日二人でパン一枚を食べている。タリバンは食料を配ってはいるが、大半は自分たちのために隠している。タリバンは撮影を止めさせようと、常に見張っている。ついにスタッフの一人が捕まった。寒さで震える女性を撮ったテープが、タリバンの手で破壊された。

 撮影隊はマカキキャンプから逃れて、北部同盟の支配下にあるミル46キャンプに移動する。ここにもアフガン難民の子供たちが大勢いる。彼らに両親について尋ねると、「家が破壊されて両親は死んだ」と口々に言う。
 アフガン難民の男が弦楽器を弾きながら歌う。
 この国の空は暗い。
 地上はチューリップのように赤い。
 悲しみの塵が降りつもる。
 母は子を亡くし、若者は帰ってこない。

 彼らは相撲をするのが生活の楽しみだ。子供たちが大勢いるのに、ここには学ぶ場がない。元教師の男は、孤児になった沢山の子供たちを砂漠に集めて授業をする。
 段ボールを黒板代わりにして、孤児の子供たちに教える。
 「君たちがアフガニスタンの将来を担っていくのだからよく聞いて。こんな戦争は、無意味だ」
 地面に座った子供たちは、下敷き代わりの小さな段ボールと紙と鉛筆を持って、聞いている。先生は言う。
 「好きな絵を描いてごらん」
 子供たちは前に出て、段ボールの黒板に花や家などの絵をマジックで描く。
 砂漠の夕陽に照らされた、段ボールに描かれたその絵は、「生きる夢」と名付けられた。

 映像が美しくて良いドキュメンタリー映画だった。北部同盟の支配下にあるミル46キャンプでは、鉛筆などが配られていて楽器もあった。ネックレスをした派手な服を着た少女もいた。マカキキャンプよりも状況がましで、歌ったり相撲をしたり勉強する余裕と物資があるのだろう。
 沢山の孤児たちが、将来のアフガニスタンを担うために学ぼうとしている姿には、心打たれた。
 自然条件も悪く、食べるものも、衣服も、医療も、すべてが不足していて、肉親もいない。地雷も沢山埋まっている。民族闘争や貧困などさまざまな問題を抱えているが、彼らにとってはかけがえのない母国なのだ。

 先週観た、パレスチナのドキュメンタリー映画「ニュースタイム」は、もっといろんな角度から遠景撮影したところがあれば良いと思った。
 分断されているパレスチナやイスラエル軍によって更地化されている光景やイスラエル側の人間について、距離を置いた視点からもパレスチナの現実を知りたかった。

 ところで、22日付けの朝日新聞の夕刊に、ブッシュ大統領が「来年は戦争の年になる」と述べた記事が載っていた。ビンラディン氏らの掃討をアフガニスタン以外でも展開する決意を示した形だ。
 米国は何をするつもりなのだろう。
 最悪の年にならなければ良いが。



2001年12月22日(土)「<ニュースタイム>アッザ・エルハサン監督/パレスチナドキュメンタリー映画」

 18日に渋谷で観たのだが、少し物足りないと思ったので書くつもりはなかった。でも映画に出てきた人々の姿が、たびたび脳裏に浮かぶのでやはり書くことにした。この映画には、流血の現場やイスラエル側の人間はほとんど出てこない。パレスチナの人々の普通の生活が淡々と描かれている。そのためか、人生の深い悲しみや絶望がしみじみと伝わってくる。
 監督は、こう言っている。「この映画で、自分たちパレスチナ人がニュース材料と見られている時代に異議を唱えたかった。日々の戦争で失われた、生活の小さな出来事を捉えたかった。しかし実際には、戦争を生きる中で自分たちが直面する、様々な死の現実をフィルムに収めている自分に気づくことになった」
 離散したパレスチナ家庭に育ったこの監督は、占領下で暮らすパレスチナ人の映画を撮るために1996年にパレスチナに戻り、今日まで活動を続けている。まだ20代の女性監督である。

 舞台はラマラという土地である。ここは、アメリカに渡って商売をしたパレスチナ人たちが帰国して商店を構えていた土地なので、コカコーラやハンバーガーなどの看板があちらこちらにあり、アメリカナイズされた雰囲気が漂っている。
 ここにアッザは住んでいて、近所の様子を撮っている。
 隣人の太った中年の夫婦はとても仲が良い。夫にとって彼女は「愛する妖精」、二人はソファでじゃれ合っている。笑いながら「愛してる?」などと戯れているが、その最中にも、イスラエル軍の戦闘機がやってきて空爆を始める様子が、開いた窓から見える。
 翌日、この金持ちの家族は車で去ってしまう。
 近所には少年たちもいる。彼らの一人に「夢、希望は何?」と聞くと、少年は困惑し返答に窮する。ついに「救いあれ」と立ち去ってしまう。
 夢や希望を抱く余裕などなく、考えたこともなかったに違いない。現状を救って欲しい、それだけが願いなのだ。
 玩具の拳銃を構え、石を投げたりして戦いに挑む遊びをする少年たち。空爆で崩壊した街並み。みんな遠くへ避難してしまって、閑散としている。
 5年後にも撮らせてちょうだい、とアッザが少年たちに言うと、彼らは言う。
「わかんないね」「生きていたらね」「遠くに行かなかったらね」
 今は一緒にいるけど、一年後には死ぬかもしれない。どこか遠くに出稼ぎに行くか、難民になって外国に行くかもしれない。
 こんな風にして、死んだりいなくなったりした友達、知り合い、身内がたくさんいるのだ。
 今日は一緒にいても、近いうち、お互いにどうなるかわからない。
 彼らは、刹那的な人間関係の中で、世界に絶望して生きているのだ。

 アッザには、5年後の彼らを追って、イスラエル占領下にある彼らの人生がどのようなものなのか、ぜひフィルムに収めて世界に伝えて欲しい、と思った。



「パレスチナ問題/イスラエルはオスロ合意を守れ」

 イギリスが、第一次世界大戦中の1917年に、パレスチナにユダヤ人国家を樹立するというシオニズムを支援する約束をしたと同時に、アラブ人の独立も支持するという二重外交をしたのが、パレスチナ問題のはじまりだ。
 第二次世界大戦後、このユダヤ人たちは米ソを中心とする欧米諸国の支援を受けてイスラエルを建国し、もともと住んでいたパレスチナ人(イスラム教徒とキリスト教徒)は難民になってしまった。
 パレスチナ人たちはPLOをつくり、奪われた土地と権利を取り返すために戦い続けたのだが、敗戦を重ねてついに1967年にはパレスチナ全土がイスラエルの支配下に入ってしまった。その後、インティファーダ(大衆決起)が起き、93年に行われたオスロ合意では、占領地の一部分にパレスチナ人による自治政府を認めることになった。94年の第2オスロ合意では、イスラエル国防軍はパレスチナ人の人口密集地であるガザやヨルダン川西岸地区から段階的に撤退し、パレスチナ自治政府の行政権と警察権の及ぶ地域を拡張するという、自治拡大協定が結ばれた。
 しかしその間にも、ユダヤ人入植者によるテロ行為や和平を進めるラビン首相を極右のユダヤ人が暗殺したりして、和平プロセスを阻止する事件が多発する。
 パレスチナ自治区は今でも占領地の一部分に過ぎず、イスラエルはさまざまな理由で撤退を遅らせ、自治区の拡大に抵抗している。
 それどころか、イスラエルは、以前から進めていた、占領地での土地接収とイスラエル人入植地の新設・拡張、イスラエル専用の道路や施設などの建設を加速させている。
 パレスチナ人たちは、陸の孤島のように分断された自治区に事実上閉じこめられて、不自由で貧しい生活を強いられているのだ。

 「パレスチナ子どものキャンペーン」の資料によると、自治が始まったとはいえ、土地の45%以上がイスラエルの入植地や軍事用地であり、入植した数千人のイスラエル人が使用する水の量は、百万人以上のパレスチナ人全体の水の量と同じという大きな差別がある。入植地の周辺では、パレスチナ人の家屋や農地が破壊され数千人が家を失っているのである。

 「ニュースタイム」という映画の後に、東京外国語大学のアラビア語専攻の藤田教授は、オスロ合意でイスラエルはパレスチナから軍を撤退し土地を返還する協定に調印したが、実際に返還した土地は分断されていて、2割にも満たない、と仰っていた。

 こうした迫害と人権侵害の状況の中で行われているイスラエル軍の空爆は、平和を望み地道な生活を築こうとしている多くの市民の努力を無にし、ガザの人々に絶望感と無力感をもたらしている。その結果、「生きていても死んでいても同じ」という希望のない状況が、自爆テロなどを生む土壌になっている。

 イスラエルはパレスチナを「テロ支援国家」と決めつける以前に、オスロ合意を守り、イスラエル国防軍はパレスチナから直ちに撤退し土地を返還すべきなのだ。

 以上は、「ニュースタイム」を観に行った時にいただいた資料をもとに書いた。

パレスチナ子どものキャンペーン(パレスチナの状況について)
http://plaza17.mbn.or.jp/~CCP/

日本国際ボランティアセンター(JVC)(パレスチナの状況について)
http://www.jca.apc.org/jvc/palestin/pale.html



2001年12月17日(月)「<光の雨>高橋伴明監督 原作:立松和平」

 1972年に連合赤軍が同志14人をリンチで殺した事件を描いた小説「光の雨」(立松和平著 新潮文庫刊)をもとに制作された映画だった。
 映画では、「光の雨」を映画化しようとする人々と、その作られつつある映画をめぐる物語になっている。役者たちが演じながら、自分が演じた人物の心理について考え事件の核心に迫っていくのだ。
 戦後昭和史の最大の闇である絶望的な題材を扱っているにもかかわらず、社会派エンターテインメントとして楽しめるのは、現代の若者が役者として当時の事件を再現することで、この問題をどう捉え乗り越えていくかという開かれた視点があるためである。
 映画の中で、ある役者が、「革命」と「連合赤軍事件」は違う、と言っていた。ベルリンの壁の崩壊などの歴史の進歩的な変革は「革命」だが、連合赤軍は理想を掲げていても同志の殺し合いになったので「犯罪」ではないか、というのである。

 私はすべての、革命、テロ行為、紛争、内戦、戦争などの過激さには、不平、不満、憎しみ、ムシャクシャする感情、発散してしまいたい暴力衝動、生き甲斐のない人生に仮の意味を与える高揚感、などの悪を内包していると思う。それは、「革命」でも「連合赤軍事件」であっても、同じである。抑圧されているが故に起こる現状破壊へのエネルギーが、動機の内にあるのだから。
 連合赤軍事件は、すべての過激さに内包する悪が、同志たちの間で発動し剥き出しになってしまったケースなのだ。

 このように「革命」には、善と悪の両面がある。
 彼らは、「生きるすべての人が幸福になる世の中……各人の持っている能力は100パーセント発揮でき、富の分配はあくまで公平で、職業の違いはあっても上下関係はない。人と人との間には争いはないから、戦争など存在し得ない」という理想を持って、社会を変えていこうとした。このことは、善の面である。
 だが、「合同軍事訓練」として銃の訓練をし、「自己批判」させ、「総括」と称して暴力を伴った粛清行為をさせ、「総括の援助」と叫びながらリンチを与え14人もの同志を殺してしまったのは、悪の面である。

 今世界では、自国こそが最も正しい、という信念でもって、戦争や紛争やテロ行為が頻発している。
 歴史的にもフランス革命やアメリカ独立革命があったからこそ、近代市民社会が確立されたと言えるのだが、今、私たちに必要なのは、そこにも悪が内包されていたという自覚と反省ではないだろうか。
 自国こそが最も正しいと主張している場合ではないのである。
 様々な紛争や戦争や革命を繰り返してきたあらゆる国家に、その長い闘争の中で行ってきた殺戮やエゴに対して、反省すべき時が訪れているのだと思う。

 この映画は、過激さの悪の面をリアルに伝えていたと思う。これを観ると、戦争やテロ行為のためにいかなる理想や正義を叫んでも、どこか欺瞞があると感じてくる。



2001年12月14日(金)「一極支配を目指す米国」

 米国がABM条約からの脱退を通告した。米国は、米本土や同盟国を守るミサイル防衛構想を国防の最優先課題にする方針である。
 米国は自分たちの城塞を高くして、イラク、北朝鮮、スーダン、ソマリア、他多数の、大量破壊兵器を作っている国々を、「テロ支援国家」と主張し、軍事攻撃の標的にするつもりなのだろうか。世界戦争、という言葉が頭をよぎってしまう。
 イスラエルのシャロン政権はついに、パレスチナ自治政府のアラファト議長に断絶宣言をし、かつてない激しい空爆を行っている。
 世界は不穏な空気に包まれる一方だ。

 ノーム・チョムスキーは、「9.11 アメリカに報復する資格はない!」という本の中で、ニューヨークとワシントンを襲ったごときテロの攻撃を阻止するために、ブッシュ政権は何をすべきか? という問いに、次のように答えている。
 「1980年代のニカラグアは米国による暴力的な攻撃を蒙った。何万という人々が死んだ。国は実質的に破壊され回復することはもうないかもしれない。この国が受けた被害は、先日ニューヨークで受けた悲劇よりはるかにひどいものだった。……彼らは国際司法裁判所に提訴し、判決は彼らに有利に出た。裁判所は米国に行動を中止し、相当な賠償金を支払うように命じた。しかし米国は、判決を侮りとともに斥け、直ちに攻撃をエスカレートすることで応じた。そこでニカラグアは安全保障理事会に訴えた。理事会は、すべての国家が国際法を遵守するという決議を検討した。米国一国がそれに拒否権を発動した。ニカラグアは国連総会に訴え、そこでも同様の決議を獲得したが、二年続けて、米国とイスラエルの二国(一度だけエルサルバドルも加わった)が反対した。
 しかしこれが国家の取るべき手段である。もしニカラグアが強国であったなら、もう一度司法裁判を行えたはずである。米国ならそういう手段が取れるし、誰も阻止はしない。それが同盟国を含め、中東地域全域の人々が求めていることである。……残虐なテロの発生する蓋然性を減らしたければ、これが筋道というものである」

 チョムスキーは正しいことを言っている。中東地域の国家の立場は複雑だが、彼らは犯罪の確かな証拠を要求しているし、国際法を遵守する枠組みの中でやりたいのだ。
 米国は、自分たちに従わない国を軍事力で叩きのめすのではなく、国際司法裁判所に提訴すべきだったのだ。そして国際法の法廷で裁くべきだ。

 米国は、ビンラーディン氏が米同時テロと関与しているのを示すビデオテープを公開した。
 ビンラーディン氏が関与しているとは思うけど、米国は湾岸戦争の時にも嘘の証拠をでっち上げて情報操作をした。だからどこまで本当なのか信用できない。
 湾岸戦争の時に、イラクがやったとして公表された「油まみれの水鳥」も、実はアメリカ軍が誘導爆弾によってゲッティ・オイル・ カンパニーの原油貯蔵施設から流出させたものだったし、イラクのクウェート侵攻直後、クウェート「難民」と称する少女が、「私は、クウェートから脱出してきたばかりです。私は、イラク兵が未熟児保育器から赤ちゃんを取り出し、冷たい床の上で死なせるのを見ました」と、国際テレビ局の前で証言したのも、まったくのでっち上げだった。

 米国の情報操作について。
http://archive.jca.apc.org/peace-st/syorui/uso.html


 今日は、「お気に入りイベント」のコーナーで紹介している、SAORIの「手織服展」に行った。
 SAORIの織物に囲まれているとほっとする。
 みんなが楽しんで織っているのが伝わってくる。機の音、無心に織っている顔、無邪気な笑い声が聞こえてくるようだ。



2001年12月9日「米国の自己中心性」

 今日はピースウォークの日だったが、事情があって行けなかった。残念。パレスティナとイスラエルの武力衝突が激化しているというのに。問題はますます根深く絡み合ってきている。イスラエルは「我々に従わなければ、テロ支援組織とみなす」という自己中心的で独善的な論法で、パレスチナ自治区に激しい空爆を行っている。イスラム原理主義組織と呼ばれるパレスティナ解放組織ハマスが、イスラエルで自爆テロを繰り返している。これももちろん許せない行為だ。
 しかし、「我々に従わない組織は、テロ支援組織である」と上から下すかのような権利がイスラエルにあるのだろうか?
 イスラエルが米国から貰ったお金で得た武器で、一方的に激しい空爆と侵略を行い、犠牲者を増やしパレスチナの街を破壊してブルドーザーで更地化しているのも、テロ行為ではないのか?

 米国が、イラクが核兵器や生物・化学兵器など開発疑惑を調べる査察を受け入れなかった場合、イラクを軍事攻撃する可能性があることも示唆し、北朝鮮に対しても査察受け入れを強く要求している。
 これも「我々に従わない国家は、テロ支援国家である」という自己中心的で独善的な論法である。
 ビンラディンを引き渡せという主張に従わないといって、確実な証拠を公開しないうちにアフガニスタンを軍事攻撃するのと同じパターンだ。
 「我々に従わないなら、軍事攻撃する」というヤクザの論法で、米国は今までどれだけの紛争や内戦に介入して多くの人々を殺戮して、憎しみを買ってきたか。米国は反省してもっと賢くなるべきだ。
 イラクや北朝鮮が米国の主張に従わないからといって、今後米国が軍事攻撃をしかけるようなことがあったら世界は米国を糾弾すべきである。
 大量殺戮兵器を開発・生産しているのは、米国も同じではないか。
 それどころか、米国は最も戦費を費やしている国である。9.11日以降の米本土防衛作戦コストと対アフガニスタン軍事作戦で最初の一ヶ月に投入した戦費は、2460億円にものぼると5日付けの朝日新聞に書いてあった。その後の戦費も入れると、莫大な金額に膨らんでいる。
 この多額のお金を、武器ではなく、食料や医療や地雷撤去などの技術開発に変えていたらアフガニスタンの貧困問題なども解決できたのではないだろうか。
 そもそも米国に、他国をテロ支援国家だと言い放つ権利があるのだろうか。まして、自分たちに従わないからといって軍事攻撃するのは独善的なテロ行為である。

 ノーム・チョムスキー著『9.11 アメリカに報復する資格はない!』(山崎淳 訳 文藝春秋)には米国こそ国家テロそのものであることが詳しく書いてあるそうだ。
 小説家の宮内さんの日記に次のような意味のことが書いてあった。『チョムスキーはノーベル賞を受賞するのではないかと言われているが、これで受賞は見送られるかもしれない。自国を「テロ国家の親玉、ならず者国家」であると発言しているのだから、暗殺されるおそれもある。そのようなリスクを背負いながら、この本を書いたノーム・チョムスキーの勇気に、心底、畏敬の念を抱く』
 明日、買いに行こう。

 米国は、イラクや北朝鮮は、核査察を拒否していると言って、先日威嚇と思われる迎撃実験をした。これにも一回につき123億円ぐらいの代価を払っている。ソマリアやスーダンも軍事攻撃の標的になるかもしれない。依然として、世界戦争にまで発展してしまう可能性がある。
 今度のピースウォークにはぜひ行きたい。



2001年12月7日(金)「イランという国の印象(3)」

 私がイランをとても好きなところは空気感だ。イランのどこを歩いても、感情や知性といった意識のレベルよりずっと深い場所に自分がいるような感じがしてくる。テヘランでは建設ラッシュだし交通量も多く騒音も激しいが、なぜか静かな落ちつきや確かなものを感じる。
 その空気感は、モスクや霊廟の内部にあるものと通じるものがある。聖人の棺桶の前では、何時間も座って泣きながら祈り続ける人やひれ伏す人、亡骸を囲むガラスに何度も何度も口づけをしている人が沢山いる。イランでは当たり前の光景だ。
 こうした、古代から祈り続けてきた人々の心のあり方が、イランの空気感を醸し出している。これは行ってみて肌で感じなければわからないと思う。
 街のあちこちに、日本の郵便ポストと同じぐらいの間隔で募金箱があるのも印象的だった。チャルスというカスピ海沿岸の田舎でも募金箱が道路際にあり、彼らは貧しいのに、さらに貧しい人々のために当然のこととして募金をしていた。もちろん盗む人はいない。

 彼らが大切にするのは、心とか精神性といった、目には見えない世界である。
 彼らは愛や正義のために、自分の命を分け与えようとする。それは義務感からではなく、ごく自然な気持ちとして快感を伴って行うのである。
 彼らが見知らぬ旅人に対して親切なのも、妻が家族のために毎日数時間もかけて夕食を作るのも、友達や家族と助け合ったり遊びに行ったり、信頼している人に無利子でお金を貸したりするのも、誇り高い豊かな心があるためだ。

 彼らは恩や心の通い合った体験を決して忘れない。日本に出稼ぎに来ても、仲間が病気になったりすると、たとえお金が返ってくる見込みがなくても、治療費を貸したりする。母国の恋人や家族の声を聞くために、高い電話代をかけて国際電話をする。貧しくても、心や情緒をとても大切にするのだ。マイホームなどの物質を得るために心を犠牲にすることはない。
 彼らは人の内面に希望を見出している。彼らにとっては、内面は自然の一部分なのだ。偶像を拒否して自然の万物をありのままに受け入れ希望を見出す生き方をしている。

 イランを説明する時に、陶酔をあげる人がいるが、それは間違っていると思う。
 沙漠の国から生まれた、偶像などの幻を拒否して自然をありのままに受け入れ帰依していくという生き方は、陶酔とは全く違うものだ。陶酔とは、現実を忘れるために、花の匂いや女の声に一時的に酔うことだ。陶酔とは、偶像崇拝に通じる心情だと思う。
 彼らが、命を投げ出そうとするのは、正義や愛に対してなのだ。
 イランの文学作品の中では、愛し合う男女が引き離されることによって生じる激しい悲嘆や、相手が自分の魂に深く関わっている様子がよく描かれている。この神の愛に通じる愛は、錯覚や陶酔ではなく、相手をかけがえのない現実の人間として愛するものだ。だから、相手の現実を知ったり、老いたからといって失望することはない。老いて死ぬまで、ありのままの相手を愛し続ける情熱と誠実さがある。イランでは、正義や愛に殉じるという生き方が非常に尊ばれているのだ。

                                            (つづく)



12月2日(日)「SAORI織り/服のかたちをしたアート展<東からの風>」

 
SAORI主催の織物の展示会に行った。大胆な色彩でところどころ破れたように穴が空いた着物風の服、白い針金みたいな太い糸や、糸を沢山巻いて縄状にしたものを織り込んだもの、普段思いつかない配色で織ったタペストリーなど、アバンギャルドでアーティスティックな織物ばかりだった。
 子供のように無心に織ったのが感じられる空間だった。

 SAORIの手織りのモットーは、常識にとらわれず、既成概念や規則を取り払い、ただ無心に織る、というものだ。したがって機械では作れない布が出来上がる。
 SAORIでは、障害者たちを障害を持つ人間とは考えない。障害はある種の才能であると考えている。だから、ここでは沢山の障害者たちが学んでいて、健常者が思いもつかない色彩や柄の作品を織り上げている。障害者も健常者も区別なく仲良く手織りを楽しんでいた。
 全国の障害者たちにこうした達成感や生き甲斐を与えた、SAORIの功績は大きいと思う。

 SAORIの代表責任者である城 英二氏の講演を聞きに行った時、次のような話をされたのが印象的だった。
 自閉症の30代のマサコさんはSAORI織りと出会い、夢中になって織り進めていき沢山の織物をつくった。 彼女は中学時代に虐めにあって以来、ずっと引きこもりが続いていて、自閉症と診断され、精神科やカウンセラーに通っていた。30代になっても治らなかったのだが、ある日、出来上がった手織りの作品と城 英二氏を前にして泣き始めた。そして堰を切ったように話し始めた。たびたびあった虐めのこと、悲しかったこと、嫌だったこと、さまざまな沢山の記憶と感情を吐き出した。こんなことは今までになかったことだった。十数年間もの長い間、心を覆っていた硬い殻が、打ち砕かれたのだ。
 彼女に明るい表情が戻ってきた。それ以来、一層織物に励むようになり、生き生きとしてきたのだった。
 しかし精神科の先生は、治癒したのではない、しかし生きることに希望が持てるようになったために心と生活に張りが出てきたのだ、と言う。
 マサコさんは、半年ぐらい前に自閉症をテーマにしたテレビ番組にも出演され、元気な姿を見せてくれた。






「画家・三宅設生氏の個展」

 12月4日(火)〜9日(日)、倉敷市で行われる。詳しいことは、私のHP表紙の「お気に入りのイベント情報」のコーナーにも載せた。このコーナーでは、イラン映画、音楽、織物やアートの展示会、平和行動に関するもの、などの情報を載せていくつもりだ。

 三宅さんの絵からは、力強くて、深層部のどろどろしたエネルギーを感じる。混沌とした世界に不気味な生き物がいてうごめいているようだけど、遠くからメッセージが聞こえてくる。不気味だけど怖くない。それどころか、海の底にいるような落ち着きや静けさや希望を感じる。

 見に行きたいけど、遠いために行けない。
 美術文化展の準会員に推挙されている画家なので、来年の3月の巡回展で東京都美術館にて鑑賞できると思う。

 三宅設生氏のHP
http://www2.justnet.ne.jp/~m.shelly/



「ピースウォーク」

 先日ブッシュ大統領は、アフガニスタンでの軍事行動は反テロ闘争の「始まりに過ぎない」と述べた。イラクが核兵器や生物・化学兵器などの開発疑惑を調べる査察を受け入れなかった場合、反テロ闘争の一環としてイラクを軍事攻撃する可能性があることも示唆した。 北朝鮮に対しても査察受け入れを強く要求した。
 依然として、世界戦争になる可能性は高い。
 昨日の読売新聞では、アフガニスタンで降伏したタリバン兵士に対する北部同盟の「処刑」「略奪」が続いていて、400人以上の捕虜が殺されたと報道されていた。今日の報道では、80人ぐらいは生き残ったとか。それにしても残酷すぎる。

 宮内さんの日記に次のように書いてあった。これも私のHP表紙にある「お気に入りのイベント情報」に載せた。

 次回のピース・ウォークは、12月9日(日)です。
★予定が変更になる場合がありますから、最新情報は、http://give-peace-a-chance.jp/ でご確認ください。

★【集合時間】
午前11時45分
12時15分出発 15時半帰還 16時 ライブ演奏等
19時解散 別途ライブハウス等でも演奏があります。

★【集合場所】
代々木競技場オリンピックプラザ ケヤキ並木横、テニスコート裏の駐車場スペース

★JR渋谷駅より徒歩10分 → 公園通りを上がりきった先の、けやき並木を入ってつきあたりまで行き、右手。

★JR原宿駅より徒歩8分 → 国立代々木競技場を左に見ながら富ヶ谷の方へ歩き、代々木公園B地区手前で左折。

★ちょっと、わかりにくい集合場所ですが、われわれ「海亀塾」のグループは、ビニール製ビーチボールの地球儀をぶらさげた旗竿(さお)を持っていきます。みなさん、それを目印に集まってください。



2001年12月1日(土)「キャラバンサライ」


 Dakini RecordsとGoRoさんが主催する「キャラバンサライ」に行った。
ミュージシャンはDepth、Keiku、SEVDA、GoRo、Madoka、など多数。タブラーやウード、ディジィリドゥなど多くの民族楽器を使ったインド・アラブ圏の色彩が濃い音楽だった。
 「琴線に触れる」という言葉を使う時、私はいつもウードやサズなどアラブ圏の弦楽器を思い浮かべる。この微妙な音は、心の奥に秘められた感動し共鳴する繊細な心情に訴えかけてくる。
 きっとこのような民族的な音楽は、自分たちの心の表現として作り出されたものだろう。そこには、演奏する側と聴く側に、その民族の心を共有したいという望みが根本にあると思う。
 Dakiniからのインフォメーションによると、「キャラバン サライとは、モンゴルのシルクロードにおいて交易を行なう商人たちの宿泊テント。かつて文化の交流場となり、音楽や踊りが披露された」と書いてある。
 地面に敷いてある絨毯、天井や壁に張ってあるテントのような布、豆電球のような素朴な明かりの演出など、「キャラバンサライ」の雰囲気だった。

 Mishaalとその生徒さんたちのベリーダンスも魅力的だった。
 ベリーダンスは、古代から伝わる中近東地域の踊りである。ベリーとは、英語で腹部という意味で、腰や腹部を細かく複雑に動かしたり体幹をくねらせたりして、女性の体の優雅さや美しさやその奥にある女性の内面を表現する踊りだ。
 しかし全く卑猥ではない。腹部や腕など露出している部分は多いが、女性としての誇りを感じた。

 Mishaalは、「私は、自分の踊りを母なる地球に捧げる、Sacred EarthDance(聖なる大地の踊り)と呼んでいます。……ダンスを通して地球に敬意を表し、命を祝福し、そしてこの不思議な力を分かち合いたいと思います。私たちは夢とビジョンのため、心から踊りを踊るのでしょう」と言う。

 MishaalのHP
http://www.mishaal.com/

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