2001年10月29日(月)「郁朋社に決めた理由」

 
ついに郁朋社から自費で出版することに決めた。
 どうして郁朋社にしたかというと、熱心に書くためのアドバイスをしてくださったり、費用も他より安くて支払い方法も相談に乗ってくださったり、儲け主義の会社ではないことがわかったからだ。
 自費出版をする他の出版社をいろいろ訪ねたが、どの会社も、持っていった作品をすべて単行本にするように促すのだ。それも費用が高い上に、私がどのような目的で出版したいのか関心がないようだった。中には、適当に出版して、倉庫に入れ、後は処分を待つだけの出版社もあるそうだ。
 でも郁朋社は違っていた。まず一つの作品を、店頭に並んでいる他の小説に負けないぐらい、最大限に磨きをかけて出版した後、二作目の作品を手がけた方が良いというのだ。
 それも私に、趣味なのか作家志望なのか聞いた後、作家志望なら、積極的に大手の出版社に働きかけていく気がなければ、あまり出版をお薦めしない、と言うのだった。
 実力のステップアップのために、朱入れの段階でいろいろ文章や構成について教えてくれたり相談に乗ってくれるそうだ。
 良心的で、書き手を積極的に育てたいという意志を感じたので、郁朋社に決めたのだ。

 しかしながら、「作家になる」という言葉には抵抗がある。世の中には、新人賞を取ってもその後受賞作のレベルを保ったり、それを凌ぐ作品を生み出す書き手は少ないのである。たとえ生み出したとしても、純文学で食べていくのはとても難しい。「作家」というアイデンティティや食べていける生活を確保するために、質を落として量産する「作家」もいる。あるいはもう書けなくなる「作家」もいる。
 ある作品で文学賞を取っても、その後良い作品が生まれなかったら、その人は「作家」ではなくなるし、普通の人がある日突然傑作を書いたら、たとえ老人でもその人は「作家」なのである。
 「作家になるとは、信頼するに足るいい小説を書くこと」という小説家の星野智幸さんの言葉にとても共感するのである。

 ところで、東京国際映画祭でイラン映画「月の光の下に」が上映される。この映画の上映期間は10月31日と11月1日だけだが、私は行くつもりである。

東京国際映画祭




2001年10月28日(日)「ピース・ウォーク」

 
今日は雨だったが、「ピース・ウォーク」に参加した。かなり遅れてしまったけど、まだ集合場所の渋谷の宮下公園から出発したばかりだった。先端にナイロン製の地球儀のある旗が掲げてあったので、小説家の宮内さんの一派をすぐに見つけることができた。宮内さんは私の顔など憶えておられないだろうと思っていたが、こちらを見て笑顔で迎えてくださったので感激した。最後には私の連れ合いにも握手をしてくださった。

 「ピース・ウォーク」の全体の人数としては200人ぐらいだっただろうか。先週の「反戦デモ」より小規模だったけど、宮内さんの周りには前回より人が沢山集まっていた。
 私は「ピース・ウォーク」の方が好きだった。常識の範囲で行われていて、シュプレヒコールも必要最小限に抑えられていたし、もみ合いなどもなかった。普通の人々が街に出て、平和を願い非暴力を皆に訴えている、というまるでセレモニーを思わせるような静かで切実な行動だった。そのため、警察官などは少なかった。

 私は歩きながら、「ピース・ウォーク」に参加したことを誇りに感じていた。道行く人々も、アフガンで苦しみ続けている難民や死傷者や、今後の日本や報復戦争の行く末について、もっと身近なものとして考えて何か行動を起こせば良いのに、と思っていた。同時に、アフガンで犠牲になった方たちのことを考えると、自分は安全地帯でぬくぬくとしていて呑気なのだ、と自分が嫌らしいような悲しいような安心したような複雑な気持ちになった。今までのところ自分が安全に暮らせているのは、日本政府のおかげでもあるのだ。かといって黙っている事は、さらに死傷者や難民を増やし、これから私たちも危険にさらされるであろう政府のやり方を結果的に支持していく意味になるので、非暴力を非暴力のやり方で訴えていくべきだと考えていた。

 宮内さんは、道行く人々にも参加して欲しいと願うように、静かに手招いていた。
 解散した後、私は元気になった。ほんの一言ぐらいしか話さなかったのに、宮内さんからパワーをもらったのだ。平和や文学について、根っこは同じもので繋がっていると思うけど、もっと頑張ってやっていきたい。
 人目を気にしたり、びくびくしたり、威張って虚勢を張ったりする自信のない大人が世の中には多いけど、宮内さんは本物の自信のある大人なのだ。





2001年10月27日(土)「世界の中心は欲望なのか」

 
片桐すみ子氏からメールで教えていただいた高山義浩氏の記事「アメリカがアフガニスタンをほしがるわけ」と毎日新聞投稿欄「ブッシュはメジャーの人形 」を読んで、報復戦争だけでなく、これまでずっと感じてきた世の中についての疑問が解けた気がした。

 これらの記事によると、米国の石油メイジャーズはいかなる手段を使っても、アフガニスタンの近隣四諸国(アゼルバイジャン、カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン)の2千億バレルの石油と3兆立米のガスの利権を手に入れて、アフガニスタン経由でパキスタンまでパイプラインを敷設したいのだ。そのためどんな犠牲を払ってでもアフガニスタンに親米政権を作りたいというのである。
 さらに、米国は世界を巻き込むために情報管理をしているそうだ。
 当時毎日新聞社にいた大森実外信部長が、72年頃、米国の北爆でハノイの病院が直撃されたのを写真と共に報道した時、米国はライシャワーを通して毎日新聞社に圧力をかけ、「でたらめな報道」をしたとして同部長を辞任に追い込んだという。

 いかにもありそうな話である。マルコポーロという雑誌も、アウシュヴィッツ収容所に関する不確かな記事についてユダヤ人団体から怒りを買い、廃刊になってしまったのである。
 今日の読売新聞にも、テレビ朝日のコメンテーターが「米国のメディアが狙われたのは、ユダヤ人が米メディアを支配しているから」と発言したことで、ユダヤ人団体の怒りを買い、テレビ朝日が謝罪したという記事が載っている。

 もしも謝罪しなかったらどうなったのだろうか。辞任に追い込まれたのだろうか。
 米国の「国益」に反する報道は、圧殺されているようである。
 私たちも、なぜテロが勃発しているのか、米国が石油利権のために世界に紛争や戦争の火種を撒いていること、などは教えられていない。

 世界は「正義」や「聖戦」を叫びながら、都合の良いように情報管理をし、殺戮と環境破壊を繰り返しているのである。
 私には、世界が欲望を中心に回っているように見える。

 日本に生まれ育ってきて、ずっと感じていた疑問があった。容姿の良い人、能力がある人、お金持ちで地位のある人、若さ、に価値が置かれていて、そうでない人間は端っこに追いやられるのである。小説を書いていても、出版社の関係者から、若くなかったら新人賞は無理だろう、と言われたこともある。良質だと思う小説が売れなかったり、よく売れる小説がくだらない内容だったりする。

 どうしてなのか、存在の価値に関わる問題なのでずっと悩んでいたが、「世の中は欲望を中心に動いている」と思ったら気分が軽くなった。
 善悪や価値の問題ではないのである。
 人々の欲望に適うかどうか、という問題なのだ。

 人の命を含めた一切の価値が、株価の変動のように移り変わる索漠とした世の中にあって(現に今は多くの人が、多数の死傷者を出している報復戦争を支持している)、私が希望を持っているのはイランという国だ。
 話がどんどん逸れて、とりとめがなくなるのでこの辺でやめるが、イランは、欲望を中心に動く私たちの社会とは違っていた。
 長くなるので、イランの話はまた今度します。

 高山義浩氏の記事「アメリカがアフガニスタンをほしがるわけ」について
http://journal.msn.co.jp/articles/nartist2.asp?w=71556

 毎日新聞投稿欄「ブッシュはメジャーの人形 」について
http://www.mainichi.co.jp/eye/opinion/03-3/1244.html

 高山義浩氏のインターネットマガジン「国際保険通信」(保険医療にとどまらず、政治経済、歴史、哲学にまつわるノンフィクション)
http://square.umin.ac.jp/ihf/


2001年10月26日(金)「IKK例会(イラン研究会)」

 今日はイラン研究会に行った。この勉強会は、イラン・イスラム革命前後の1978年にテヘランで生まれたそうだ。当時、テヘランに駐在していた東大の大野先生や日本通信協力の潮田さん、東洋エンジニアリングの桑田さん(故)などを中心に、銀行マン、商社マン、ジャーナリストなどが集まり、イランの現状分析についての勉強会を開いている。彼らは、イラン革命の生きた証人である。1982年からは東京・赤坂のTBS(東京放送)の一室で、毎月第4金曜日の夜に勉強会が行われている。
 世代が違うためか少し距離感があるが、興味深い話が聞けて勉強になる。報復戦争にはあまり良い感じを持っていない人が多いみたいで、日本の新聞は危機感を煽りすぎているという声をいくつか聞いた。

 イランに十数回ぐらい訪問したことのある人の話を聞いたり写真を見て羨ましくなった。男の人だからイランとイラクの国境付近など、人に知られていない場所にも一人で行けるのだ。私も、97年に行ったイラン旅行で、イランの知り合いの人たちとフーゼスタンなどイラクとの国境付近に行く予定は立てたものの、同伴者が異性であると警察に捕まる危険があるので、中止したのだった。
 女性の中東の一人旅は、宿泊も安全弁としてホテルになりがちであるし、現地の人(特に異性)とのつき合いも気をつけないと危険なこともあるし、いろいろ困難が多いと思う。
 しかし、女性であるがゆえの困難さも乗り越えてみれば、面白いことが沢山見えてくるのである。
 今度は、IKKの主催する「ノールーズの祭典」に行きたいと思っている。



2001年10月24日(水)「デモ行動や意見表明の意義」

 
少し前、読売新聞に、「国家の行いは、公の反対がない限り個人の責任でもある」という意味のことが書いてあった。確かに、日本政府が世界に向けて意見を表明したり行動を起こす時、日本全体の代表としてであり、世界もそう受け取り反応してくる。

 私個人が米国の軍事行動に賛同していなくても、日本政府が米国に荷担すれば私個人も荷担しているものとして、アラブで沸き上がりつつある反日感情やテロ攻撃の標的になってしまうのである。国家と国家の争いであるのに、実際には多くの民間人が犠牲になり訳もわからないまま殺されていくのはそのためである。

 タカ派の政治家たちが民間人の命を顧みず、利権や欲望で国全体を破滅的な方向へ進めていくのを防ぐには、一人一人が意見を表明し行動したり、同じ意見を持つ人々が力を合わせて政府に働きかけたりしていく他ない。黙っていることは、国会の動きに追従していくことであり、結果的に報復戦争で多くの人々が犠牲になって死んでいくのを肯定する意味になるのである。
 政治家は私たち国民の公僕である。政府が怪しい方向に動いている時、私たち国民が異議を唱えていくのは当然のことである。

「報復戦争に命を賭ける価値はない」

 
10月24日付けの読売新聞の一面に、米海軍がトマホーク800基増産した、という記事が載っている。アフガン以外での国際テロ組織拠点への軍事作戦に向けた準備を念頭に置いたものと見られる、と書いてある。

 世界に散らばる「国際テロ組織拠点」の背後には、宗教、民族、人種、領土問題、政治など、長い年月にわたって複雑にからまる深い問題が横たわっている。こうした問題を無視してミサイルや砲弾で攻撃し、施設や街を破壊して多くの人々を虐殺したり難民を増やしても、問題が解決しないどころか、ますます怨念が根深くなり、再びテロリストの報復を受けて犠牲者が増え不安や恐怖が高まるばかりだろう。

 20世紀の米国は戦争や紛争の火種を沢山撒いている。ベトナム戦争を起こし、300万人以上の命を奪い、200万人にも上る枯れ葉剤の犠牲者を出した。サンディニスタ革命政権であったニカラグアに、「コントラ」なる反政府ゲリラを組織し、「内戦」を起こさせた。イラン・イラク戦争ではイラクを支援していながらイランへも武器を売買し戦争を泥沼化させた。さらにその金を「コントラ」の資金に充て、「内戦」を泥沼化させている。その後、自分で軍事強国に仕立てたイラクがクウェートに侵攻すれば、湾岸戦争を起こし、ピンポイント空爆などありえないクラスター爆弾や、放射能を浴びせる劣化ウラン弾などで被爆させ多大な犠牲者を出し深刻な環境破壊をしている。

 今回も米国は、クラスター爆弾や劣化ウランを使った爆弾をアフガンに落としている。再び、大地を汚染し被曝の後遺症を引き起こそうとしている。しかも沢山の地雷を広くばらまくタイプの爆弾だという。米国は、取り返しのつかない悲劇を起こしている。地雷を撤去したり地球環境を守ろうと命がけで努力している人々や支持者たちを愚弄している。しかも米国防総省は、ジャララバード近郊で、多数の民間人の犠牲者が出たことが報道された後、商業衛星「イコノス」が撮影した、死体がはっきり見えるアフガニスタンの写真をすべて買い取ってしまうという。

 日本政府は、こうした米国の利権と傲慢さで先導している戦闘にやみくもに荷担せず、冷静に距離を置くべきである。これは「一国平和主義」や「巻き込まれ論」ではない。対話を無視した殺し合いの報復合戦に、かけがえのない地球や人々の命を犠牲にしてまで参入していく価値はないのである。



2001年10月21日(日)「デモに参加」

 
今日は国際反戦デー、アフガニスタン空爆やテロに抗議する集会などが各地で開かれた。私も生まれて初めてデモに参加した。反戦の気持ちと好奇心、小説家の宮内勝典氏も行くと氏の日記に書いてあったことなどから、参加したのだ。2時をかなり回って集合場所の六本木・桧町公園に着くと、沢山の団体や市民グループが旗や幟を立て、横断幕やプラカードを持って集まっていた。1500人集まったそうだ。

 宮内さんは若い男の人と一緒に来ていた。宮内さんは迫力があって怖い感じがしたが、連れの人とはきさくに話していたし、日記にも気軽に声をかけてください、とあったので声をかけた。名前を覚えてくださっていたからとても嬉しかった。優しそうな顔で握手をしてくださった。滅多にないことだから記憶に刻みつけた。最近の氏の日記に、海外で暮らすことになったら、ミサイルや砲弾が降ってくる側の国に住んで、静かに考えようと思う、といった意味のことが書いてあって、改めて偉い人なんだと思っていたところだった。私などは、早くこの忌まわしい事件や問題を忘れてしまいたい、ミサイルや砲弾が飛んでこない国に住みたいものだと考えていたのに。

 トランスのレイブパーティで時々見かける人たちもいた。いつものようにタイダイ染めの服などヒッピー風のスタイルをしていて太鼓を持っていた。こんなところでも会おうとは、なんだか嬉しかった。田舎風のおじさんやおばさん、僧衣みたいな服を着て丸刈りにしている人、黒いヘルメットをかぶり丸メガネをかけ、マスクみたいにタオルで顔を覆っている人たち、ロングドレスに長いスカーフで髪を覆い、頭に冠を乗せた厚化粧のオカマみたいな一群。いろんな人たちがいた。

 演説や歌を聞いた後、六本木通りに出て拡声器などを用いてみんなでシュプレヒコールをしながら外堀通りを歩いた。右手にアメリカ大使館があるところまで来ると、シュプレヒコールは一層大きく激しくなった。誰かが持ち歩くカセットデッキからはジョンレノンの歌が流れていた。
 霞ヶ関の官公庁が並ぶ通りを反戦を叫びながら歩き、5時頃に日比谷公園に到着し解散した。

 日曜日で街は閑散としていたが、多くの人が集まって反戦の声を上げることはとても効果的で、意義ある運動だと思った。





2001年10月19日(金)「Dakini Nights 忘我」

 
ここ数日、OCHI BROTHERSの<BEATING THE EARTH>というCDばかり聞いている。先週の土曜日にあったダキニナイトが主催する<忘我>というライブに行った時、買ったのだ。
 OCHI BROTHERSは、水、木、石、土などといった自然素材や民族楽器、テクノロジーなどを使って、人間と地球を結ぶイメージを音楽にしているという。このアルバムは、民族音楽の色調が色濃く、民族楽器のリズムと音が心の奥にある自然を呼び覚まし軽いトランスを起こさせる。
 ライブは民族音楽の楽器を用いた、インド・アラブ系のエキゾチックな音楽だった。ミュージシャンは、MAKYO、OCHI BROTHERS、SEVDA、GOROなど。MISHAALのベリーダンスも良かった。GOROさんのデジリドゥは聞き応えがある。デジリドゥはオーストラリアの原住民、アボリジニーの民族楽器で、床まで届く長くて太い管楽器。音も太くて野性的な音が出る。力強い音の周囲に、吃音みたいなユニークな響きがあると思う。
 ライブを通して、民族的で宗教的なリズムのせいか、深く眠っている原始的な感覚が呼び覚まされるよう。時間を超えた懐かしい領域に入っていく陶酔がある。私はこの感覚が好きで、Dakini主催のライブによく行くのである。
 最後に平和を願って、モロッコで古くから行なわれている手拍子と掛け声による、悪霊払いのような音楽を皆でやった。一定のリズムに合わせるうちに“個”が消えて、周囲のものと溶けていく感覚を皆で味わった。その場にいた全員の顔がスッキリしていた。リズムそのものは阿波踊りに似ていた。
 次回のDakini主催のライブは<キャラバンサライ>。
 12月1日(土)、港区西麻布のBULLETSにて。03−3401−4844

Dakini Nightsについて
http://www.dakinirecords.com/

OCHI BROTHERSについて
http://www2.gol.com/users/yochi/



2001年10月17日(水)「<多少の犠牲を覚悟でテロ撲滅>のエゴ」


 テロ対策特措法案が可決されようとしている。タカ派の人々や政治家の発言を聞いて、人の命の重さについて真剣に考えていない人が多いことをつくづく感じる。
 小泉首相の「多少の犠牲を覚悟」という発言の裏には「他人の100人や200人、死んでも構わない。まさか自分が犠牲になって死ぬことはないだろう」という身勝手な気持ちが隠れている。だが、もしも明日、自分が犠牲になって死ぬことがわかっていたら、なんとか犠牲にはなりたくないと、死に物狂いで生き残ろうとするのではないだろうか。大事な人や身内が犠牲になったら、悲しみで取り乱すのではないだろうか。
 政治家なら、「犠牲者を一人でも出すべきではない」という高い理念を持って仕事をして欲しい。
 だが実際には国民を真剣に守ろうとしている政治家は少ない。最近国内で始められたお粗末なテロ対策では国民を守ることはできない。報復戦争を支持することで、アラブでの反日感情が沸き上がっている。このままでは日本もテロ攻撃の危険にさらされる。自衛隊法改正などではテロ攻撃を防ぐことはできない。長年テロ対策を行ってきたアメリカでさえも、テロリストによる大惨事を予想も防ぐこともできなかったのだ。
 国民の安全を顧みないタカ派の人々は、自分たちが義勇兵として戦場に赴いて、タリバンと戦い「テロ撲滅」のために死ぬ覚悟はあるのだろうか。その覚悟がないなら、軽々しく武力行使を容認するべきではない。他人が犠牲になって死ぬのは構わない、という考えは無責任だ。タカ派の政治家たちのために、私は死にたくない。



2001年10月15日(月)「テロリストの容疑内容を公開せよ」

 
再びタリバーン政権が証拠提示と空爆の停止を条件にビンラディン氏を第三国に引き渡すと提案したことに対し、アメリカは交渉を拒否し、4条件を改めて突きつけた、と朝日新聞の夕刊に書いてあった。4条件とは次のようなものだ。(1)ビンラディン氏の引き渡し(2)テロ組織の幹部引き渡し(3)テロ組織の訓練施設の破壊(4)外国人の「人質」の解放、などである。
 報道ではビンラーディン氏を犯罪者扱いしているが、物的証拠などはないようなのだ。確かな証拠もないのに、上記した4条件をタリバーン側が呑まないからといって、高飛車に戦争に踏み込み多数の民間人を死傷させたり街を破壊して難民を増やしているのは、大きな罪である。公認されたテロリズムの行為だ。タリバーン政権が証拠提示を求めるのはもっともである。
 いい加減な理由で戦争を起こして欲しくない。人の命を何だと思っているのだろう。
 国際法の<法廷>で正当な裁きをして解決して欲しい。
 メディアはさかんに報復戦争を煽り立てているし、国会も報復戦争全面支持に傾きそうな危うい雰囲気だが、テロリストたちの容疑内容を、国会議員や国民にちゃんと公開すべきだ。

「報復戦争に関する国際社会への具体的提案」

 
少し前に読売新聞に電話をして、国民を戦争に煽動するのはやめて欲しいと抗議した時、政治部長に、じゃあどうすれば良いのですか、と逆に質問されて返答に窮した。まるでこちらに深い考えがないと言いたげでバカにされた終わり方をしたがもう大丈夫。ちゃんと具体案を携えている。もっとも私が作ったものではないが、全面的に賛成している。

報復戦争に関する、国際社会への一号提案

                             策定、二〇〇一年一〇月一五日
                             起草者、田中公一朗

(a)イスラエル政府は、できる限りすみやかにパレスティナ地域から兵力を撤退せよ。少なくとも撤退の意思を明示せよ。
(b)米国政府は、イラク、マレーシア、インドネシア、フィリピンに対し、公然、非公然の、武力を伴なう攻撃を加えてはならない。もしその企図があるのであれば、あらかじめ国連安保理の承認を得よ。
(c)米国政府、英国政府は、戦闘継続の意思があるのであれば、まず、オサマ・ビン・ラディンが911テロの首謀者であるという証拠を国際社会に開示せよ。現状では国連安保理事会においての開示が適すると思われる。現時点では状況証拠がそろっているだけである。なお安保理理事会は非公開としてもよい。
(d)米英国軍は、誤爆の可能性があるなら、証拠提示後でもアフガニスタンに対し戦闘行為を行ってはならない。これは国連軍の派遣(国連憲章七章第四五条)を妨げるものではない。
(e)米国政府は、現在(二〇〇一年一〇月一五日)も行われている戦闘行為こそが、テロの首謀者と見なされる「カイダ」の最も望むことであることを確認せよ。戦闘行為はムスリム国家の内部動揺を招き、反米感情を一三億ムスリムの内部に醸成するだけである。このことは米国にとって、政治的、経済的、文化的に甚大な損失になりうる。ひいては世界経済社会の混乱を招くことを銘記せよ。
(f)前項(d)に関して、諜報活動ならびに特殊工作活動によりビン・ラディンの身柄を確保した際には、国際司法裁判所において裁判をするのではなく、新たに国際的な法廷を設立し、そこにおいて裁判をすべきである。一は、裁判の迅速化のためであり、二は、NPOなどからも人選をすべきゆえである。人選方法は、国連安全保障理事会に委任すべし。また、裁判は公開を原則とする。
(g)日本国政府は、現日本国憲法を誠実に遵守せよ。
(h)日本国政府が、後方支援を含む中東地域への海外派兵を企図するなら、日本国憲法第九章第九六条(憲法改正)の手続きを必要とする。現状の、違憲と判断されるテロ対策特別措置法案をただちに廃案とせよ。
(i)日本国政府は、もとより一国平和主義を日本国憲法上(とくに前文)持つものではない。テロリズムの温床になっていると思われる世界に蔓延する貧困と、富の分配の歪みを正すよう最大限努力すべきである。
(j)日本国政府は、NBC兵器を含む、あらゆる種類のテロリズムに対し反対する表明をすべきである。
(k)日本国政府は、国連によるアフガン復興会議(仮称)が東京で行われることを最優先に行動せよ。その必須条件として相対的中立を確保するために前項(h)を実行せよ。日本国政府、外務省をはじめとする関係省庁は、引き続きイスラーム各国との外交活動を円滑に進めよ。
                             以上



2001年10月13日(土)「報復反対運動の重要性」


 ノーベル平和賞が国連とアナン国連事務総長に授与され、これで鼓舞されたアメリカ政府はますます戦闘意欲に燃えるだろう。もしも、テロ根絶と叫び続けて、フィリピンやインドネシア、マレーシアなど世界に散らばる「テロ組織」の施設を爆撃し始めたら、世界戦争になるだろう。テロリストも何をしでかすかわからないが、アメリカ政府も何をしでかすかわからない。ベトナム戦争では300万人以上の命を奪い、ダイオキシンなどの枯葉剤を空中散布した。その後遺症に苦しむ人は200万人に上るといわれている。
 だがアメリカ政府がベトナムから撤退せざるを得なくなったのは、若者から沸き上がり拡大してきた反戦運動や世論のためだった。
 世界戦争を起こし大虐殺へと暴走しかねないアメリカ政府にブレーキをかけるのは、まさにテロと報復を反対する一人一人の行動なのである。



2001年10月12日(金)「平和のために私たちができること」


 世界の状況は急速に変化している。もしもアメリカがイラクまで本格的な攻撃を拡大したり、フィリピンやインドネシアを攻撃し始めたら、世界戦争になる。日本も標的になるだろう。先行きのことは誰にもわからない。予測不能の出来事が起きている。これからは、あれこれ理屈をこねるより、直接行動の方が大きな意味を持ってくる。メディアにも文書などで、おかしいと思う記事には反論や抗議したり、賛成する記事には賛意を表すれば、報道を変える具体的な力になるとマスコミの関係者が言っていた。各新聞社のサイトにメールで送っても良いのだ。
 テロ特措法案に反対する政党(社民党http://www5.sdp.or.jp/)(共産党http://www.jcp.or.jp/)などを応援するのも良い。
 共産党のHPに、報復戦争と自衛隊派遣新法に反対する正式な署名用紙があった。PDF書類なので印刷して署名をして近くの共産党に持っていくか本部に郵送すれば良いそうだ。私は署名をして郵送した。
 平和を創る人々のネットワークhttp://give-peace-a-chance.jp
 ここでは報復反対運動の情報の交換が行われている。
 報復反対運動の署名や募金、デモなど、できることはいろいろあるのだ。
 ノーベル平和賞が、国連とアナン国連事務総長に贈られた。まるで冗談の世界にいるみたいだ。
 複雑な問題を、国を破壊し虐殺と暴力で叩きのめして解決しようとする組織と人間に、どうして平和賞が与えられるのだろうか。民間人まで巻き込み、沢山の殺人を犯している。カブールでも地雷除去作業をするNGOの職員や本部建物まで破壊されたというのに。彼らがやっていることは、公認されたテロ行為ではないだろうか。
 この世界はどこか狂っている。



2001年10月9日(火)「読売新聞の政治部長と話はできたが、こちらに具体案がないためあえなく退散」

 
国民を煽り立てるかのように、連日読売新聞が報復全面支持を書きたてているので、不快になり読売新聞本社に電話をした。前にも書いたが、10月6日づけの一面の「世界の危機日本の責任・緊急提言1」で「一国平和主義」意識を捨てろ、「戦争巻き込まれ論」から脱却せよ、集団的自衛権の行使を認めよ、などと書きたてているのは政治部長の弘中喜通氏。10月7日づけの一面の「世界の危機日本の責任・緊急提言2」で「湾岸」での教訓を生かせと報復支持を強調するのは、論説委員の大久保好男氏だ。受け付けが出たので、「国民を戦争へと煽動する、論説委員の大久保好男氏をお願いします」と言うと、すんなりオフィスにつながった。女の人が出たので、同じ事を告げると、「大久保は3時に戻ってきます」という。それで、政治部長の弘中喜通氏に電話を回してもらった。
私「国民を戦争に煽動するのはやめてください。報復反対の人も沢山いるんです」
弘中「別に煽動しているつもりはありませんよ」
私「テロを絶対的悪と認識せよ、というんだったら国家テロも許すべきではありません」
弘中「じゃ、今回のテロを許せと言うのですか」
私「まさか。テロリストも処罰しないといけませんが、アメリカの国家テロも追及すべきです」
弘中「じゃあどうすればいいのですか?」
私「今回もタリバーン政権がアメリカに対話を求めてきたのだから、アメリカは対話をすべきだったんです」
弘中「だって、タリバーンはビンラディンの引き渡しを拒否しているのです。どうすればいいのですか?」
 私は、どうすれば良いのか具体案を持っていなかったために返答に窮した。そこで言った。
私「とにかく、今回のテロ事件だけを歴史から切り取ってアメリカを全面支持するのはおかしいです」
弘中「じゃあどうすれば良いのですか?」
とまたも同じ質問。私は答えに窮して、「考えをまとめてまた電話します」というと、弘中氏は子供をなだめるような口調で「はいはい」と言った。

 どなたか具体案のある方に、読売新聞の政治部長・弘中喜通氏や論説委員の大久保好男氏を論破していただければありがたいです。このままでは、読売新聞を読んだ人々が報復全面支持になびいてしまいます。報復反対の世論があることをマスコミに伝え、マスコミが変わると、国会も変わるかもしれません。

追記
 弘中氏は、本気で私に案を求めたというより、「感情的に戦争は嫌だと言っているだけでしょう。考えが浅いですよ」と言いたかったのかもしれない。彼らは私より100倍の国際情勢の知識と具体的な解決案を持っているかもしれないが、彼らの主張が正しいかどうか、という事とは別問題だ。今世界で起きている事は明かに間違いだ。自分の意見に説得力を持たせるため、もっと勉強して具体的な解決案を示せるようになりたい。



2001年10月8日(月)
「ドンパチが始まった。虐殺と暴力で成り立つ平和はどこかおかしい」


 ついにアメリカがタリバンに空爆をし始めた。憂鬱だ。ビンラーディンらだけを絶対的な悪とし虐殺すれば撲滅できるという浅はかで無謀な行為を、世界が一斉に支持している。この国際的で圧倒的な支持に、普通の人々がふらふらとなびいていかなければ良いけど。
 まともな国民なら、虐殺と暴力で成り立つ平和はどこかおかしいと感じるはずだ。



2001年10月7日(日)「報復反対運動の情報満載/海亀広場」「読売新聞は、国民をわざと戦争参入へと煽動することを書くべきではない」

 10月6日付けの読売新聞には、世界の危機日本の責任・緊急提言というタイトルで、「一国平和主義」意識を捨てろ、世界から酷評された湾岸戦争の苦い教訓を忘れるな、集団的自衛権の行使を認めよ、「戦争巻き込まれ論」から脱却せよ、などと国民を戦争荷担へと煽り立てる記事が一面に大きく載っていた。今日の読売新聞の一面にも同じようなことが書いてあった。読売新聞は、国民をわざと戦争参入へと煽動することを書くべきではない。テロを絶対的な「悪」とするのだったら、アメリカの国家テロもやめて欲しい。テロの原因から追及していくべきだ。日本はアメリカに迎合しすぎているし、国際社会においての日本のメンツにとらわれすぎて、国民を守ることを忘れている。
 小泉首相は「多少の犠牲は覚悟しなければならない」と言っているが、彼らが犠牲になれば良い。いざ危険となったら彼らは安全な場所へ逃げ込むくせに。いつでも犠牲になるのは私たちである。小泉には首相を辞めて欲しい。国会全体が狂っているのだから、国民の一人一人がまともな考えを持って行動する他ない。
 私はいくつかの報復反対運動に署名をし、わずかだが募金をした。
 海亀広場には、報復反対運動の情報が沢山載っている。
 http://bbs8.otd.co.jp/818524/bbs_plain



2001年10月3日(水)「タリバーン政権が米国に対話を求めている」

 10月3日付けの朝日新聞の夕刊に、「対話が唯一の解決」とタリバーン政権が米国に呼びかけた、と書いてあった。米国側は交渉を拒否した。対話もせずに、攻撃に出るのは明かに国家テロだ。9月初め頃のダーバンの反人種主義会議でも、アメリカとイスラエルは話し合いを途中で放棄し会議離脱をした。米国のこうした態度が、テロを生んでいる。
 タリバーン側が対話を求めてきたことは、複雑にからまった怨念を解いて建設的に問題を解決していく契機だった。米国はこれを放棄して、また虐殺を始めようとしている。国を壊滅させ人々の命を奪い問題解決しようとする米国のやり方は、地下で渦巻く怨念を倍増させるだけだ。米国の非現実的で無謀なやり方のせいで、今までどのくらいの人々や自然が犠牲になり、憎しみとテロリストが生まれてきたことか。そしてこれからも。たとえタリバン政権を倒しビンラディンらを処刑しても、いつか再び怨念が噴出し、このままでは治まらないだろう。テロリストも犯罪者には違いないが、米国もただならぬ大きな罪を犯している。



2001年10月2日(火)「染と織の造形思考/現代の布」

 
芸術としての素晴らしい織物が沢山展示されていた。特に気に入ったのは、藤野靖子氏の「李賀」というタイトルの絵巻物のような綴れ織りと、上原美智子氏の極めて細い糸で織られた透明感のある布だった。「李賀」はシルクだが艶がなく、深い複雑な色彩の織物でまるで絵画のようだった。上原美智子氏の使う糸は、最も細い糸で3.7デニール、蚕がはきだす時のものとさほど変わらない細さである。あるかないかわからない程の非常に薄い布だが、存在感がある。美しくて俗世界を離れたような繊細な布、まるで天使の衣みたいだった。写真の布は上原美智子氏の作品だが、私はさらに細い糸で織られた白い布が好きだった。
東京都国立近代美術館工芸館/11月18日まで/03−3211ー7781
http://www.momat.go.jp/





2001年10月1日(月)「テロ撲滅のためには国家テロもなくすべき」

 読売新聞で山崎正和が、文明世界で反テロ同盟を築き、テロとテロ支援国を根絶すべきだと述べていた。このように、テロ撲滅をやたらに叫び米国の報復に加担しようとするタカ派の知識人がいるけれど、今回のテロ事件だけを歴史から単純に切り取って善悪を論じるのは不真面目だ。アメリカ政府に「Show the flag」と言われたせいで、他国に負けじと懸命に日の丸を掲げようとしているのだろう。日本の自信回復にばかり気をとらわれていて、米国が過去の歴史でずっと行ってきた国家テロについてはわざと目を瞑っている。
 もともと米国は、アメリカ先住民の大虐殺の上に成り立っている。ベトナム戦争でも300万人もの命を奪い、中東地域にも石油欲しさに高飛車に介入しては、内戦や紛争に関わり多くの人々を虐殺してきた。米国は世界中で数え切れないほどの国家テロを行ってきている。米国には反省の色がない。それどころか、今回も軍事力で抑えつければ報復してくる者たちを撲滅できると思い込んでいる。
 テロ撲滅をするなら、国家テロも許すべきではない。
 ローマ法王は2000年を契機に、過去の宗教の名のもとに行われた虐殺・侵害行為を認め、謝罪した。ビンラーディンらも当然だが、米国も国家テロで行ってきた大虐殺・侵害行為を反省し謝罪すべきだ。
 日本は米国との違いをよく見極め、独自の正義を編み出すべきだ。米国にノーとはっきり言えることが、本物の自信なのである。
 中村敦夫のHP http://www.monjiro.org/を見たら、国会は大政翼賛会化してきたと書いてあった。国会はただならぬ方向へ動いている。「報復反対」「報復は慎重に」の意見を持つ人が結構いると思っていたのに、国会決議には反映されていないのだ。こうなると、一人一人が平和運動などを通じて世界へ働きかけていく他ない。



2001年10月2日設置